体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

技術指導の話2 あるいは,『美味しんぼ』の鍋対決

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,体育同志会の技術指導の考え方について書いてみようと思ったのですが,ひとまず,『美味しんぼ』というマンガの31巻の「鍋対決!!」について書いてみます。

「なんで?」といわれると,うまく説明はできないのですが,それで説明する方が,うまく訴えられるような気がするからです。

今日は「鍋対決!!」の話の紹介です。

では,どうぞ。

 

ビッグコミックスピリッツという雑誌があり,そこに『美味しんぼ』というマンガがある。

これは,1983年から連載が始まっている。

この時代のグルメマンガだから,何となくバブリーな感じがしないでもない。

原発事故に関わった記述が問題になったというのは新聞で読んだが,今現在連載されているのかどうかは知らない。

 

美味しんぼ』は,東西新聞社山岡士郎が同僚の栗田ゆう子といっしょに,究極のメニューを作成するという話だ。

ところが,ライバル紙の帝都新聞が,山岡の父親である海原雄山に依頼して,「至高のメニュー」を作成することになる。

そこで,この究極対至高がしばしば対決する。

まさに,オイディプス・コンプレックスの話型。

 

で,単行本の31巻は,「鍋対決!!」となっていて,究極の鍋料理と至高の鍋料理の対決となる。

 話を丁寧に書こうとすればするほど,登場人物や関係などを語らなくてはいけないので難しいのだが・・・。

 

対決を取り仕切る若い社長である団一郎のはからいで,究極の関係者と至高の関係者が一堂に会して,ふぐ料理を食べている。

てっちりを食べている最中に,団社長が次の対決を「鍋料理」でという提案を行う。

安請け合いした山岡に対して,雄山が「愚か者」とたしなめる。

鍋は土着料理の代表であり,それを差し置いて究極だ至高だを云々したら,読者に不快感を与えるというわけだ。

しかし,雄山は,「私は,誰もが納得し喜んでくれる至高の鍋料理を作る自信がある」 という。

そして,勝負と相成る。

 

ここから,審査員の一人にホワイトソース仕立ての鍋を否定され,稀代の茶人・丿貫(へちかん)のもてなしを経て(飛ばしすぎですね。すみません。),山岡たち究極の鍋は完成する。

それが,万鍋(よろずなべ)だ。

 

鍋料理は、「どんな材料でも作ることができ」、「心の底からくつろぎ楽しめる」,下ごしらえした材料を勝手に鍋に入れて食べるという「素人でも料理に手を出す楽しみが味わえ」,酒の肴にも,ご飯のおかずにもなるので,「甘党辛党,老人子ども,万人向け」だという。

 

つまり,様々な材料を用意して,様々なつけだれなどを用意して,あとは食べる側が好きにすればいいので,誰にでも喜ばれるというわけだ。

そうすれば,すき焼きがいいか,しゃぶしゃぶがいいかとはならないし,牡蠣鍋と鶏の水炊きとを比較してどっちが上かを競う必要がなくなるというわけだ。

 

「万鍋は材料を究めるのでもなく,調理法の洗練度を究めるのでもなく,もてなしの心を究めたのです。

このもてなしの心を究めるという一線を守れば,全国どこでもどんな材料を使っても,食べ終わったときに楽しくなれること請け合いです。

だから,万鍋を私たちは究極の鍋料理としたのです」。

 

ところが,この説明を聞いた雄山が獅子吼する。

「これがもてなしの心とは笑止千万! 究極の鍋料理やぶれたり!」

雄山にいわせれば,究極側は,「考え方の基本が間違っている」というのだ。

「どうしてだめなのか,『至高のメニュー』の用意した鍋料理を味わえば,すぐにわかる」。

 

こうして,至高のメニューへ。

雄山は,スッポン鍋,フグチリ,アワビシャブシャブ,ハモとマツタケの鍋,カニ鍋の五つ,「至高の五大鍋」を用意する。

この中から一番を選ぶのではなく,「どの鍋もなにもかも突き抜けた至高の一品」だという。

これらを食べた審査員は,あまりのうまさに言葉を失い,頭の中が白くなるという経験をする。

 

そして,雄山は,アワビシャブシャブは,究極側が確立した調理法であること,ハモとマツタケの鍋とカニ鍋については,究極側も知っていたことから,究極の側も同じものを出せた,しかし,あえてしなかったという。

それが,考え方の基本の間違いなのだ。

そして,鍋料理の本質について,次のようにいう(2つあるが1つだけ)。

「フグはチリにするのが一番旨いからチリにする。

スッポンも、アワビもカニも、ハモとマツタケも、鍋にするのが一番旨いという必然性があるからだ。」

 

 特別審査員として登場した丿貫(へちかん)は,感想を述べる。

雄山の料理の方が,山岡たちのよりも「素直」だという。

山岡と栗田は,「あんな高価な材料を使った鍋の方が!」「素人には調理できないような鍋料理が!」と反論する。

 

 「お二人は,もてなす心と,相手に気に入られようと媚を売る気持ちとを,取り違えたのではないかな。

あれもこれもととりそろえ,誰の趣味にも合うようにできているが,もてなされる方はうんざりする。」

「一方,海原さんの料理は単純明快,これ以上の物がない美味しい鍋料理を食べさせてやりたい,その心がみなぎっている。

カニはこうして食べるのが一番旨いという信念があふれている。」

「そこには,いっさいの媚がない。」

「それが真のもてなしだ。」

 

そして,至高のメニューの文句なしの勝ちとなる。

何でこれが体育同志会の技術指導なの?

それは,また今度。

 

 

 

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