体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのスポ』12月号 「今月の授業」を読む

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,『たのしい体育・スポーツ』2014年12月号を読みます。

なかでも,「今月の授業」を読みます。

では,どうぞ。

 

今月の授業は,「How-to 側転 みんなで側転できちゃった!」だ。

これを読んでいて,いろいろ考えた。

僕は,6日に大阪で,体育同志会の球技指導の考え方について話をする。

大阪支部は,若い会員のためにも,体育同志会の考え方と到達点などを学ぶ機会を作っている。

そこで僕は,最新情報というよりは,大切にしてきた「考え方」について話したいと思っている。

そのため,あれこれ考えていた。

 

そしたら,今月の授業に,側転の指導が書かれていた。

冒頭に,「同志会が大切にしてきた側転の指導」とある。

そして,「側転をマット運動の中核にするわけ」として以下の3点をあげている。

①空間を使った大きな表現・系統的な指導ができる

②技術分析がし易く,グループ学習にぴったり

③広がりのバリエーションが豊富

 

体育同志会の技術指導といえば,水泳のドル平泳法がその端緒となり,そこから他の指導にドル平の考え方が受け継がれていき,指導法が考えられたという言い方がしばしばなされる。

これは,歴史をこちら側から見ればそういう物語がすっきりするのだろうが,あちら側(その当時)から見れば,いろいろな試行錯誤がなされていたはず。

 

その様子が,叢書『器械運動の指導』,ベースボールマガジン社,1974に,簡単に書かれている。

体育同志会は,1960年頃に,「子どもの喜び」を大切にした指導に着手する。

単純にいえば,それまで普通に行われていた指導が,子どもの喜びを高めるものになっていないということであり,それに代わる指導を探ろうとしていた。

当初,それを「中間項」という言葉で表現していた。

正式な競技と,要素的な練習の間に位置するような,その運動の「もっているおもしろさのなかで技術を習得するための中核」になるものは何かと問うのである。

 

それが,器械運動(鉄棒運動)では,連続技と捉えられた。

マット運動でも,連続技の研究がなされていた。

 

最初は,子どもの喜びという主体の側から着手し,その後,運動文化の教材としての価値という客体の側に着目した。

そして,運動の特質とそれを含んだ最小の単位である基礎技術,そこからの発展(指導の系統)が考えられた。

マット運動では,「空間感覚,回転,バランス」の三要素を含んだものとして,側転(型)を基礎技術と考えたわけである。

側転ではなく,側転型といっているのは,基礎技術を「ジャンプを含む側転」というように,要素ではなく単位としているからである。

この辺はわかりにくいかな。

 

大阪で話す内容にも,体育同志会ではロール系(前転や後転)をあまり取り扱わない(中核に据えない)のは,そういう技術指導観に立っているからだという話をする。

 

で,叢書には,動物歩きがマット運動の導入(マット遊び)に用いられる。

そこに,山内基広さんが,ねこちゃん体操を導入した。

埼玉の國井さんは,それをキチンと位置づけている.

 

1の感覚づくりは,よくみると,やはり動物なのだ。

クマ歩きやアザラシ,シャクトリ虫などの動物(虫も)歩きが叢書では位置付くが,ねこちゃんとライオンさん,ぞうさんが新たにラインナップに加わった。

 

川跳びの「(1)両手,両足」の写真を見て,唸ってしまった。

う~む。

これは,ゴム紐を越えるようにして,手をついている。

なるほど,ここでゴム紐か・・・と思ったら,体育館に引いてある線だった。

でも,写真だけ見るとそう見えるでしょ。

 

『「手型・足形」調査をどう生かしていくのか。』(埼玉支部としても今後の研究の課題としています。)と書かれている。

こういうのがいいね。

先人が明らかにしてくれたものを使うけど,それをさらに発展させるわけだ。

ボール運動の心電図もそうだけど,手型・足形は実態調査のようなもので,そこから読み取ることができることはあるが,それを次にどう生かしていくのか。

期待したい。

 

「どの子にも通用する唯一の方法はありません。つまずきを見取る力,適切な声かけや補助の技を磨くことが大切です。」

こういうのもいいな。

How toだけど,万能ではなく,教師としての力量形成もまた必要なのだ。

 

ここまで読んで,前に書いたがまだ記事としては上げていない内容を思い出した。

体育同志会は,運動技術の指導を大切にする。

それは,もともと技術の高まりが子どもの喜びを高めると考えたからだった。

でも,今の風潮からすると,教えることはいけないのか?

 

明日は,そのことについての記事を上げようと思う。

 

 

 

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