体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

インセンティブについて考える

こんにちは。石田智巳です。

 

新聞を読んでいたら,いろいろ面白いことが書かれています。

ブログを書くようになってから,新聞をよく読むようになりました。

いわゆるニュースではなく,解説やコラムが面白いです。

今日は,インセンティブについて考えます。

では,どうぞ。

 

19日水曜日の毎日新聞にあった「水説」というコラムを面白く読んだ。

最後は政治的な話なのだが,最初に「人がやる気を出すのは,どんな時だろうか」という問いかけがある。

そして,ダン・アリエリー博士の実験を紹介する。

その実験とは,営業担当の二つのチームに,「日ごろの働きへのボーナスだ」として,15ユーロ(日本円で2000円ぐらい)ずつを渡した。

 

渡すときに,一方には「このお金で自分のために何かを買いなさい」といい,他方には,「このお金を使って同僚に何かをプレゼントしなさい」と指示した。

これが実験なのだが,その結果,自分のために使ったチームの売上高が4ユーロ上昇したのに比して,同僚にプレゼントしたチームの売上高が70ユーロ以上もアップした。

 

考察としては,仲間への贈り物によって,チームのコミュニケーションが活発になり,団結が強まってやる気もまし,総合的な営業力が高まったのだという。

記事はここからアベノミクスに欠けているものについて述べる。

 

新自由主義が,ゼロサムゲームでパイの取り合いを促し,勝者と敗者を意図的に作り出そうとしているときに,こういう話はいいなあと思う。

ただ,この実験結果に驚く(であろう人が多い)のは,新自由主義的な取ったもん勝ちに慣れてしまっているからだろう。

学級が殺伐とするのも,競争と選抜の空気が蔓延するからである。

それに対してクラス作りをやろうとする先生は,共同の雰囲気をどう作るかに腐心している。

 

ところで,冒頭に述べた「やる気」に関わっていえば,「やる気を引き出す誘因」というのは,「インセンティブ」といわれる。

15ユーロというのは,金銭的インセンティブということになる。

このインセンティブに関して,先日面白い本を読んだ。

というと,偽りがあるのだが,面白い本の紹介を読んだ。

 

読んだ本は,大澤真幸(おおさわまさち)さんの『<問い>の読書術』(朝日選書)だ。紹介されていた本は,マイケル・サンデル先生の『それをお金で買いますか-市場主義の限界』である。

たまたまか,大澤さんの本の最初に紹介されていて,紹介する分量も多い。

 

で,今の経済学はインセンティブの経済学となっている傾向があるという。

ところが,サンデル先生は必ずしも金銭的なインセンティブが効果があるわけではなく,むしろ逆効果になるときもあると述べる。

それが「市場による道徳の締め出し」なのだが,細かい話はしない。

ここでは,スイスであった原発にかかわった話を紹介したい。

 

原子力エネルギーに大きく依存するスイスでは,放射性廃棄物の貯蔵場所が必要である。

しかし,そんなものを抱え込もうというコミュニティーはほとんどない。

そこで,ある小さな寒村が,有力な候補地として上がった。

この問題を巡る住民投票の前(1993年)に,村民の意識を調査した。

 

「もし連邦議会がこの村に放射性廃棄物処理場を建設するのが望ましいと決定したら,処理場の受け入れに賛成票を投ずるか」

その結果,51%とギリギリながら過半数の住民が賛成であると回答した。

 

次の質問。

「もし連邦議会廃棄物処理場の建設を提案するとともに,村民一人ひとりに保証金を支払うことを申し出たとしよう。そのとき,提案に賛成するか」

当然,賛成者が増えるかと思ったら,さにあらず。

なんと,25%と半減してしまった。

 

おそらくであるが,その住民は,最初の質問の時は,原発が必要ならば国民の義務として施設のリスクを引き受けよう,と考えたのだろう。

しかし,金銭的インセンティブが加わることで,報酬めあてとなってしまい,行為の意味が変わってしまうことになった。

 

最初の51%と次の25%の関係が気になるところだ。

最初賛成していなかったけど,次の質問で賛成にした人もいるだろう。

でもこれだけ減ったということは,より多くの人がインセンティブにノーと言ったのだ。

 

水曜日の朝日新聞には,「特許は会社のもの」に,というタイトルの記事があった。

これは,ノーベル賞の中村さんが会社を相手に裁判を起こしたことに起因する。

報酬というインセンティブを求めたのだ。

結果として,巨額なお金が支払われた。

これは新自由主義の勝利だ。

 

でも,先の二つの事例は新自由主義の敗北だ。

次元が違うけど。

 

かつて,僕は,授業中に印刷を忘れたので,あわてて学生のサポーター(ES)にお願いして,事務の方にお願いしようとしたら断られた。

しかも,「何を考えているの!」っていわれたそうだ。

教員の授業の印刷は,業務外だということだ。

そんなことはわかっている。

でも,緊急だったし,自分が場を離れることができないので,やむなしという判断だった。

 

その人たちが去り,今,僕の周りいる事務の仕事をしてくれる人で,頼んでもないのにいろいろなことをしてくれる人がいる。

 いろいろ気を遣って,その人も関係しているある授業の前には,準備物があったら言ってくれと必ずメールが入る。

その人は,業務外であることは知っているが,自分の範囲を狭めないし,インセンティブも求めない。

具体的なことはいえないが,そういう人はみんなから好かれるし,大切にされる。

 

だから,賃上げをいうよりも,ワークシェアリングをいう方が,職場の雰囲気はよくなるような気がする。

給料は減るけど,職位による賃金格差が少なくなるのだ。

強欲な新自由主義者ではない組合員の主張としたいが。

ダメか。

 

 

 

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