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体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

ヘイトスピーチと体罰・暴力の話

新聞記事より 授業でのこと

こんにちは。石田智巳です。

 

最近忙しくて,ブログのネタもなければ,書く時間もなく,そろそろ毎日更新はやばいと思っています。

いつも分量も多く,だいたい2500字~3500字ぐらいを書いています。

なので,分量を減らす努力もしてみます。

それで,今日は月曜日の新聞を読んで考えたことを書きます。

では,どうぞ。

 

17日の毎日新聞のオピニオンを興味深く読んだ。

月曜日の新聞は,家に帰ってから読もうと思ったが,帰って走って夜遅くに新聞を読んでもちっとも頭に入ってこない。

だから,朝の電車で読むことにしている。

ここら辺が,ビジネスマンとの違いだ。

何しろ,一日前の新聞だから。

 

それで,このオピニオンには,「ヘイトスピーチ法規制」について二つの立場の意見が紹介されていた。

これは,10月に東京で開かれた「日本における人種差別を考えるシンポジウム」における討論の紹介である。

 

ヘイトスピーチを法律で規制する必要があるという立場で話したのは,弁護士の師岡康子さんだ。

それは,現実にヘイトスピーチが繰り返されることで,PTSDになった子ども,学校の教師が早期退職をするなど被害があるため,そこから人権の救済が必要になるという立場である。

 

一方,規制に消極的なのは,憲法学者の西土彰一郎さんだ。

西土さんは,民主主義の根幹である「表現の自由」という観点から述べる。

表現の自由というのは,少数者にも意見を述べる自由があるとする「民主主義過程論」,多様な意見や思想が出されることで,真実が明らかになるという思想の「自由市場論」から考察される。

ヘイトスピーチは,権力者への異議申し立てでもなければ,何かに対する言論的な対抗でもないため,「表現の自由の保障の範囲外にある」となる。

 つまり,ヘイトスピーチはいけないことなのである(当たり前だが)。

 

しかし,西土さんは,そのこととヘイトスピーチを法で規制することを区別し,消極論を展開する。

その理由として以下を挙げる。

・政府による恣意的な運用の恐れなど,表現内容の規制に対する警戒。

ヘイトスピーチも多様であり,それを限定的に定義する難しさ。

・規制がマイノリティに適用されるなどの副作用が大きい。

そして,もし規制するのであれば,「憲法原理の選択をしなければならない」と述べる。

 

細かい点では,僕もよくわからないところはあるが,①被害者の救済というか予防の立場と,②それを含めつつもより広範な法律の適用を慎重にすべきという立場の違いである。

 

特に,後者は戦前に讒謗(ざんぼう)律や官吏侮辱罪など,権力に対する批判を封じ込めるために使われてきたことなどを念頭に置く。

いずれにしても,ヘイトスピーチはいけないという点では一致している。

 

実はこの記事に興味を持ったのは,ちょうど,月曜日の3回生ゼミ(3ゼミ)で,体罰問題を扱う学生たちがいて,その発表を聴いたあとだったこともある。

彼らは,体罰・暴力の問題に取り組みたいという思いはあったが,何をどう取り組んでいいのかに困っていた。

今更,学生にアンケートというわけにもいかない。

体罰はいけません」という結論では,当たり前すぎて面白くない。

 

とりあえず,桜ノ宮高校の事件後に,各種団体からの声明,シンポジウム,決議などがなされたこと,そして論文や著書が発表されたであろうから,それを徹底的に調べるということにした。

その時点でなにか妙案があるわけではない。

ただ,ブログもそうだが,何か新しい知識に出会わないと頭は回転しないのだ。

だから,「とにかく考える」のではなく,「とにかく資料を用意する」ことを目指した。

 

そうしたら,体罰反対決議やシンポや声明もあるけど,体罰容認派も結構いることに気付いた。

例えば,桜ノ宮高校では顧問を辞めさせないように,1100筆の署名が集まった。

その後,起こった豊川高校の事件でも,同様な署名が37000筆も集まった。

プロスポーツの選手や監督などでも体罰必要論は語られたし,石原,橋本両氏も同じことを言っていた。

大学の先生で実名を出している人もいた。

今でも,体罰で処分される高校野球の監督もいる。

ヘイトスピーチが言葉による暴力であるならば,それに近いものはいくらでもある。

 

学校教育に限れば,体罰は法律で禁止されている。

しかし,酒,麻薬など,法律で規制すると地下組織が暗躍するのも歴史が教えるところだ。

ということを軸として,論文を組み立ててみようということになった。

どうなるのかはわからないが,期待はしたい。

 

僕らが子どものころは,ゲーセンに行くと,パンチ力測定器のようなものがあった。お金を投入してパンチすると,あなたのパンチ力は何キロですと出るようなものだ。

あと,お金をもらって叩かれる「叩かれ屋」なるものがいた。

体罰・暴力のはけ口はそれだな。

 

ヘイトスピーチは法律で禁じて,違反者に罰が与えられれば減るだろう。

しかし,そう思う気持ちを禁じることはできない。

だからといって,井戸に向かって,「王様の耳はロバの耳」と叫べばいいというものではない。

ところで,ヘイトスピーチ愛国心の現れとも云える。

国は,国民に愛国心を持てと云う。

法律も作った。

その究極の形がヘイトスピーチだとすれば,禁じることは矛盾になるのか。

 

 

 

 

 

 

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