村上春樹「政治の季節」を読む
こんにちは。石田智巳です。
今日は,村上春樹さんの本を読んで考えたことを書きます。
といっても,小説ではなく,エッセイです。
では,どうぞ。
ノーベル賞の季節がおわり,今年もまた村上さんはノーベル文学賞を逃した。
僕はあんまりノーベル賞に興味はないが(云うまでもなく,僕がもらうということではない),またダメだったかという思いと,だからどうしたという思いが交錯する。
けど,逃したおかげで,来年もまたそういう話題になるのだろうと思ったりする。
その代わりと云ってはなんだが,今月7日にドイツで「ウェルト文学賞」を受賞した。
そこで,かつてエルサレム賞を取ったときの「壁と卵」の比喩が再び語られた。
先日も,毎日新聞にインタビューに答えていた。
さらに,京都新聞でも『象の消滅』をもとに,村上ワールドについて語るアメリカの翻訳家の記事が載っていた。
あの話は僕も好きだ。
なるほど。
『1Q84』もそうだが,別の世界が存在することを教えてくれるわけだ。
村上春樹の書く文章は,比喩に充ち満ちている。
銀行に云って,「ボーナスもらっていない」というと,銀行員は「はっ?」としたようなうつろな目で僕を見る。
「道ばたで今まさに朽ち果てんとする雨ざらしの廃屋を眺めているような目つきである」(10頁)。
他の比喩を探そうかと思ったけどやめた。
こういうのは,探すものではなく,出会ったときににんまりするものなのだ。
村上さんは,マラソンにトライアスロンもやっていた。
音楽はクラシックもジャズも聴きこんでいる。
そして,あの人は,世界の情勢をよく見ている。
その村上さんが書いた文章が「政治の季節」である。
これは『村上朝日堂の逆襲』という新潮文庫に入っている。
なお,「この作品は『週刊朝日』1985年4月5日号~1986年4月4日号に連載された後,1986年6月朝日新聞社より単行本として刊行された」ものが,1989年に発行され,2004年に18刷となったものを,僕がブックオフおしくま店で買ったのだ。
だから,『海辺のカフカ』とか,『ノルウェーの森』,『1Q84』とかとまったく違う。
小さなエッセイなのだ。
そのため,このタイトルを見て,書かれている内容がわかる人は,よっぽどのマニアか変態だろう。
内容は,その当時30代なかばの村上さんは,それまで一度も選挙で投票したことがないというところから始まる。
「政治的関心や意見がないわけではないのだが,それでも投票しない」(157頁)と述べる。
その理由として,「第一に選択肢の質があまりにも不毛なこと,第二に現在行われている選挙の内容そのものがかなりうさん臭く,信頼感が抱けない」からだそうだ。
それに加えて,ほぼ団塊の世代=全共闘世代の村上さんは,「政治なんて欺瞞だ」とアジられたことも影響しているという。
ただし,選挙制度そのものを否定しているわけではないので,「何か明確な争点があって,現在の政党縦割りの図式がなければ,我々は投票に行くことになるだろう」(159頁)とも述べる。
ここで,世代を代表して「我々」となる。
「今世紀中に必ずもう一度重大な政治の季節が巡ってくるんじゃないかという気がする」のであり,そのときは「我々は否が応でも自らの立場を決定することを迫られる」だろう(160頁)。
それを,村上さんは1920年代のアメリカの大恐慌にたとえる。
そして,「もしあの大恐慌に匹敵するクラッシュ(崩壊)がやってきたとしたら,当時のアメリカと同じように現在の豊満な文化の周辺に寄食し,生息している人士のおおかたはあとかたもなくどこかに吹き飛ばされてしまうことは目に見えている。
「我々はそろそろそのようなクラッシュ=価値崩壊に備えて自らの洗いなおしにかかるべき時期に至っているのかもしれない」と結ぶ(161頁)。
1985年というのは,僕は高校2年生だった。
この年,阪神タイガースが優勝した。
夏には,球技大会で骨折し,円盤投げを始めた。
冬にはスクールウォーズがやっていた。
いわゆるファミコンでは,スーパーマリオブラザーズが発売された年である(僕はやったことがないが,息子はやっている)。
僕は授業で,日本の子どもの体力のピークがこの年であったことを云うときに,この年に「マリオ」が,86年には「ドラクエ」が発売されたことをあげる。
それまで外で遊んでいた子ども(僕)は,家にこもってゲームをし始めて,体力が落ちた。
だから,体力づくりを体育でやろうというのは筋が違うのだと云う。
さて,僕の生半な知識で云えば,1985年はプラザ合意の年であり,この頃円高が一気に進むようになった。
日本の戦後の繁栄を支えた要因の1つに,円安があったといえるだろう。
それをアメリカが解消した。
そうしたら,国内にお金があまって,法人税が引き下げられて,企業もお金があまり,ゴッホのひまわりを買ったり,外国の映画会社を買ったりした。
社員にお金をまわさなかったけど,税金が安くなったりして,社員は社員でお金があった。
消費税は導入されたが,税制が変わったため,なにしろ,サントリーオールドとか3600円ぐらいしたのが2000円ぐらいで買えるようになったのだ。
僕は買っていないけど,それははっきり覚えている。
ジョニ黒も1本1万円だったけど,3000円台で買えるようになったし(買わないけど)。
大学に入ったときに,NTTができて,その株を買ったというYくんの家族は儲かって,彼は新車に乗っていた。
残念ながら,僕の実家の商売は,バブルがはじける前にどん底で,はじけた後に奇跡の復活を成し遂げるので,僕はバブル前の景気の余沢にあずかっていない。
だから,常に自転車。
名古屋ではケッタという。
こうしてバブルは崩壊した。
村上さんが予言していたのは,結果的にはバブルの崩壊というクラッシュだったのだろうか。
その頃には,東欧そしてソ連の崩壊もあり,世界的に価値観が変わってしまった。
そして,世紀は変わって,金融資本主義となり,リーマンショックがあった。
福島はほったらかしで,東京オリンピックを誘致した。
解散総選挙が12月14日にあるという。
政治の季節がやってくる。
投票しなくっちゃね。
壁に向かう卵かもしれないけどね。
奈良マラソンの後,餃子とビールの前だな。