体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのスポ』11月号 森論考を読む

こんにちは。石田智巳です。

 

今日も『たのしい体育・スポーツ』の2014年11月号を読みます。

今日は,森敏生さんの論考「子どもをつなぐ教材づくりの視点」を読んで考えたことを書きます。

では,どうぞ。

 

う~ん。

今日は乗り気ではない。

森さんの論考を読んだが,読んでもいろいろなことが頭の中に巡ってこない。

いろんなこととは,まさにいろいろなことなのだが,体育や教育に限らず,思考がどんどんわき起こってこない。

この論考の枠の中に閉じ込められるような感じなのだ。

それだけ,森さんの書かれている文章は射程が広く,内容に説得力があるのだ。

だから,ワープロを打つ手が滑っていってくれずに,困っている。

 

森さんは,今「たのスポ」の編集長をやっている。

だからというわけではないが,いつも体育,スポーツ,教育へのアンテナの感度がとてもよい。

そして,思考に奥行きがあるので,整理がうまい。

いや,整理がうまいから思考に奥行きがあるというのか。

あと,森さんの特徴は,話す言葉においても,書く言葉と同じぐらいに理路がキチンとしているということだ。

 

以前,新宿事務所で,『運動文化研究』のために座談会を行った。

今の指導要領が改訂される前に,指導要領の話をしたのだと思う。

そのテープ起こしを僕が(なんのインセンティブもなく)やったが,しゃべった中で一番わかりやすいというか,そのままでも文章になっていたのが森さんだった。

もう一人,そういう人がいたが,その人はどんどん自分の世界に入っていってしまう。

時に仮名を使い,今校長先生になっている田さんだ。

 

だから,森さんは言語での思考がすごいと云うことになる。

まるで,体育同志会のモーツァルトだ。

大阪出身だが,「浪速のモーツァルト」ではない。

(ちなみに,みなさんはこの文章から目を離して,モーツァルトってワープロで打てますか?難しいでしょ)。

今,モーツァルトのCDをかけました。

曲は,Serenata notturna inD major k239です。

日本語には訳せません。

 

森さんの文章を読めば,その説得力に思わずうなずいてしまう。

だから,つべこべ言わずに読めと思う。

つべこべ言っているのは僕なのだが。

 

ということで終わり。

というわけにはいかないので,とりあえず要約だけでもしておこう。

 

まずは,今の子どもたちの様子が語られる。

その生きづらさの克服という課題の困難さは,「同時に課題解決の糸口や可能性を示唆しています」と陽転させる。

「『一人ひとりの生の困難と社会的困難が重なって現れる点に,生きづらさの問題系』の特徴がある」と中西新太郎さんを引いて述べる。

「社会的な閉塞,『生きづらさ』を反転させるには,互いに疎遠な関係におかれている『他者』を『共にある』位置に置き直すこと,それが可能になる『共にある世界』を模索・探求することがカギになる」(12頁下段)。

 

こうして,生きづらさの克服の原則的な視点が語られる。

そして,宮城の矢部実践(レジェンド)をひいて,「子どもをつなぐ教育実践の課題に体育がとても重要な役割を果たしうる」と結ぶ。

そして,次が体育教材づくりの話へといく。

このストーリーがいいでしょ。

 

そして,制野さんの「生活課題 → 教科内容 → 教材」という言葉を引き,パッケージ化された教材を子どもにぶつけるだけでは,子どもの生活に切り込まないことを述べる。

そして,つなぐという課題に自身の実践が切り込めているのかどうかを問えという。

さらに,あらかじめ用意されたドル平や2:0からのフラフトという教材だけではなく,その教材の学習過程そのものを学習の対象にするという「教材づくり」が求められるとする。

これは,矢部実践を読むとその意味がよくわかる。

ただ,カッコに入った「教材づくり」というのがややわかりにくいところだ。

教材をつくるというよりも,授業の全構想のことでもあるような気がする。

 

次に,「『子どもをつなぐ』に切り込む教材づくり」として,体育同志会の体育授業観,教材観(スポーツ観)などが語られる。

ここもまた丁寧に読むことで,体育同志会が何を考えて授業づくりをしてきたのかがわかるし,それが歴史的にどのように変化してきたのかもよくわかるように書かれている。

 

そして,子どもたちをつなぐものとして,5つが示される。

①目標・課題についての合意形成

②「みんながうまくなる」技術認識

③共同的な学習方法

④共同的な学習行為を引き出す教具

⑤子どもの関わり合いへのフィードバック

 

さらに,教材化のポイントとして4つが示される。

①学習活動の現状を対象化する。

②あらたな学習課題・学習対象を創り出す。

③課題解決行為を実行する。

④学習の歩みを総括的に対象化する。

 

こうやって書いてみたけど,項目だけでは何のことだかわかりにくくて申し訳なし。

これは,矢部実践を手に取りながら,読んでいくと意味はよくわかると思う。

子どもたちの思いをくみ取って,そこからクラスの課題を設定し,実際にグループ学習を進めて,総括も自分たちでするということだが,こうやって書いてしまうと何とも間抜けだ。

 

最後に,「スポーツ教材の捉え直し」として,制野さんのフットボールの授業構想とその核について引かれる。

これについては,僕もいろいろなところに書いたりしたので繰り返さない。

ただ,制野さんの近代スポーツ批判が,二項対立的な思考へと転化して,近代スポーツ=悪,それ以前の運動文化=善となって,近代スポーツの最前線を学ぶこともまた悪と捉えることなるのであれば,注意が必要な気がする。

 

それと,体育同志会は,特質論から基礎技術論へと向かった経緯がある。

制野さんの視点は,その特質そのものを問い直す視点となり得る。

それは,同時に基礎技術(論)を相対化する視点でもある。

そうなったときに,今後の展開が楽しみではある。

すでに,バレーボールではかつての基礎技術からの指導の系統性とは違う考え方も出てきている。

 

そういう議論も必要だ。

となると冬大会か。

いやいや冬大会は3年限定で,授業づくりについてやることになっている。

これについては,次の研究局体制に任せよう。

 

もう一度いいますが,この森論考は,自分で読んで見てください。

 

 

 

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