体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのしい体育・スポーツ』11月号を読む

こんにちは。石田智巳です。

 

連休明けに『たのしい体育・スポーツ』11月号が届きました。

久しぶりという感じですね。

ブログもネタを探すのが結構大変なので,「たのスポ」が届くとホッとします。

では,どうぞ。

 

9月号の特集が「武道」で,10月号の特集が「スポーツとは何か」で,やや固い内容が続いた。

そのため,実践を読んで,味わって,考えたことを書くと云うわけには,なかなかいかなかった。

今回は,「子どもをつなぐ教材づくり」である。

こういうのは,ブログ的には書きやすいと思う。

 

表紙は,復興みやぎ大会の初日の全体会でのみかぐら。

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11月号は例年,夏大会のまとめが載る。

ここ数年は,夏大会の研究のまとめは僕がしているので,僕のというか研究局のまとめも載っている。

 

例年,最終日の大会の研究まとめは,ノートPCに打ち込んでそれを舞台に持ってあがるのだが,今年はPCの字が小さすぎて何が書いてあるのかわからないということが起こってしまった。

そのため,眼鏡を外して,画面を顔の真ん前に持ってきてしゃべった。

 

例年は見えていたのに。

先日の健康診断でも,左目が眼鏡をかけて0.6しかなかった。

僕の年代以上で,目が悪くなったに人は共感してもらえると思うけど,前と違って本当に大変。

スマホで電車を予約したり文章を読んだりするときは,基本的に眼鏡を外して,画面を顔に近づけないと読めないし,打てない。

 

コンタクトレンズは,走るために,近くが見えるようにして,遠くはぼんやりしても仕方がないようにした。

ところが,夜走っているときに,コンタクトでガーミン(GPS時計)を見ても,呆けてよく見えないのだ。

目の前に持ってきても見えない。

離しても見えない。

何のために入れたのかよくわからない。

新聞や本を読むための眼鏡も作ったが,ほとんど使わない。

 

いやいや,「たのスポ」の話だった。

 

僕は,この「子どもをつなぐ教材づくり」という特集のタイトルが気に入っている。

教材(ここでは,便宜的にスポーツ種目名としよう)が,子どもをつなぐのではなく,子どもをつなげるように教材化(今ここでは,子どもに提示するためにスポーツ種目に何らかの手を入れることとしよう)すると云っているのだ。

 

だから,どうすれば子ども同士がつながれるのか?という角度から教材づくりが行われることになる。

普通にサッカーをやったからといって,子どもたちはつながれるかどうかわからない。

むしろ,子どもたちを分断してしまうかもしれない。

そして,そこには「子どもたちはつながらねばならない」というメッセージが込められている。

理屈上は。

では,なぜ子どもたちはつながらなければならないのだろうか。

それはこれから読んで考える。

おそらく,これらのことが,二本の論考に書かれているのだろう。

そして,どのような教材づくりをして子どもたちをつなげていったのかということが,3本の実践記録に書かれるのだろう。

 

ところで,僕はいつも気になるのだが,「教材」という言葉の意味というか,範囲というのか,概念の内包と外延というのか,が曖昧なのだ。

 

例えば,先生方の学校で購入する物品はおおかた「教材費」であろう。

紙も教材,チョークも教材,モニターも教材。

机やいすは教材とは云わないだろうが。

しかし,チョークとバスケットボール(ボールではなく種目の方)が同じ教材でいいのか?

ねこちゃん体操という教材,側転という教材,マット運動という教材,器械運動という教材,マットという教材など,教材というのは都合のいい概念なのだ。

 

英語では,teaching materials と subject matter という云い方をする。

前者は教える材料であり,後者は主題というのか内容ということであり,言い換えれば教育内容とか教科内容と云うことができる。

体育同志会では,教材と教科内容の峻別という云い方がされた。

中村敏雄さんが1970年代の初頭に後の教科内容の萌芽となる「歴史,技術,組織」の3領域を提出した。

それを,80年代の終わりから90年代にかけて,今度は出原泰明さんが「教材と教科内容の峻別」について試案を示した。

それまでは,教材はあったが,そこに教科内容はなかったと云うことだ。

 

ここがややこしいのだが,教科内容は種目を取り払っても残る体育という教科で教えるべき内容のことである。

でも,バスケットボールという教科に固有の教材(素材)で教える内容もある。

 

競争という教科内容を教えるために,リレーを教材とする。

リレーでは技術的な内容を教える。

教科内容(競争) - リレー(教材) - 技術的内容(???)

という関係におかれるのだ。

しかも,リレーそのものをさらに教材化することになる。

この整理が必要なのだろうと思いつつ,いつもこのあたりで思考はストップする。

 

もう一つ難しいのは,「子どもをつなぐ教材づくり」を,「子どもをつなぐグループ学習」という学習の形態と区別することができるのかどうか。

教材が子どもをつなげるのか。

「リレーはつなげる」という突っ込みを入れられそうだが。

グループ学習が子どもをつなげるのか。

両者を切りはなすことができるのか。

 

ここら辺を楽しみに読んでいきたい。

 

内容はまた今度。

 

 

 

 

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