教育のつどい大阪2014の話1-運動会での応援団の取り組み
こんにちは。石田智巳です。
今日は,先週の土曜日(11月1日)に,「教育のつどい」大阪2014に参加したときの話です。
レポートは2本だったのですが,今日はそのうちの前半の話を書きます。
では,どうぞ。
今年の「教育のつどい大阪」は,豊中で開催された。
この「教育のつどい」というのは最近の名称である。
数年前までは,大阪であれば「大教組教研」あるいは単に「教研集会」と云っていたと思う。
和歌山では,和教組教研。
全国では,全国教研。
でも,高校は高教組で,和高教となる。
確かにややこしい。
しかし,僕にとっては,そちらの方がなじみがあるので,教研集会と書いてしまうかもしれない。
さて,今年僕にとって豊中の小学校訪問は3回目である。
1度目と2度目は,教育実習の訪問指導。
1度目は梅田から阪急電車に乗って蛍池で降りて,進行方向に右側の歩いてすぐの小学校。
2度目も蛍池の今度は左側のすぐの小学校。
僕はなぜか十三へのあこがれがある。
昔クレージーキャッツのある歌に,女の人を探して日本を縦断するという曲があった。
そのなかの関西では,「祇園,十三,新世界」という歌詞があったのだ。
でも,いつでも十三は素通り。
今回もそうやって十三を越えて,豊中駅を降りて,5分もかからないところにある学校で行われた。
体育・健康・食教育という分科会になるのだが,体育と,健康・食教育の2つに分かれて行われた。
最初に,合同で健康教育の世話人である立命の三浦先生から子どもの健康問題についてと題して話題提供がなされた。
これについては,興味深い話であったが,ここでは取り上げない。
このペースで行くと,本題の前に紙幅が尽きるから。
予定時間を大幅に超過して,体育小分科会へ。
最初のレポートは,小学校での運動会での応援団の取り組みであった。
報告の概要は以下の通りである。
全校で300人ぐらい(各学年2学級)で,しんどくなる時もあるが,そんなに荒れはない小学校での実践。
応援団は,5年生と6年生が赤白それぞれ4人ずつ出すので全部で16人。
先生は,赤白3人ずつの6名が担当となり,ここはかなり手厚い。
運動会は9月末に行われた。
担当の教師が集まってまず確認したことは,基本的に「子どもに任せる」ということだ。
9月10日頃に顔合わせ。
応援団の子どもたちは,前年度の応援合戦を見て,あこがれてくる子どもと,やりたくないけど,仕方なく来る子どももいた。
そして,団長,副団長などの役割決め。
さらに,そのときにある教師の提案で,使う音楽を決めた。
その音楽を用いて,応援用に替え歌も作った。
これは,教師も言葉を用意していたが,子どもの言葉が採用された。
替え歌を歌っていくうちに,まとまりができてきたという。
ダンスづくりをやろうとしていたが,それは進まなかったようだ。
応援団員は掃除を免除されて,練習は昼休憩と掃除の時間をあてるという。
1週間もやっているとだんだんと形になってくる。
伝統的(?)に,応援のダンスの中に,側転だとか,組み体(ピラミッド)などが入ることになってきたようだ。
そんなある日,応援団の練習に来なくなってしまった子どもA子(仮称)がいた。
A子は学校にも来ることができなくなってしまった。
それでもなんとかやってきたのが,本番の4日前のこと。
みんなはA子の役目は作っておいたけど,A子は「恥さらしになるからやりたくない」という。
それでも,教師が声かけをしたり,同じ学年の子どもたちが手取り足取りダンスを教えていった。
2日前の全体練習でも踊らなかったが,その後の応援団の練習には出た。
面倒なことは続く。
その子のいるピラミッドの頂点を任されたB子(仮称)が,ねんざをしてしまう。
それで,下の段を予定していたC子(仮称)を頂点にして,土台にA子を入れることにした。
ところが,B子は本番に戻ってきた。
そのため,A子とC子が上手にピラミッドの土台になるように工夫して,問題解決。
このとき,教師は何もせず,子どもに任せておいて解決できた。
本番は白組が勝った。
白組は,もめたりケンカが多かったが,最後はうまくいった。
赤組は,上で述べたようなこともあって,うまくいったが,残念ながら負けてしまった。
解散式の時には,それぞれがよかったこと,成長したことをあげた。
また,作文にも,自分たちでやれたことや,みんなの前でも恥ずかしがらずにできたことなど,子どもたちなりの成果が語られた。
終わった後も,応援団の子どもたちが,学級会の司会をするなど,積極的な姿も見られた。
という実践だ。
最近,現場では行事の精選というか,削減が行われているという。
それには,授業時間の確保や学力テストへの対応がある。
とりわけ大阪は,学力テストの結果に対して,上の方がトップダウンで指示してくると云う。
平均点競争が低いところは,就学支援率が高いとか,生活保護世帯が多いとか,そんなことはわかっているはずである。
その社会的な状況をなんとかせずに,現場を締め付けるような政策を打ち出せば,現場は疲弊する。
選抜と競争を強化する中での1点や2点を上げることに,どれほどの意味があるのか。
そのために,行事(教科外活動)を削ることによって,子どもの育ちを蔑ろにする方がよほど問題が多い。
なにしろ,教科外活動というのは,基本的に自治的な活動の力を育てるところにあるのだから。
最近では,どうしても,教師が見栄えを優先するあまり,子どもを自治の主人公に育てるよりも,教師の指示のもとで働くように動かしてしまう。
せめて,「子どもに任せる」場を作るという教師の良心的な思いが,この応援団の取り組みに表れている。
しかし,だからこそ,昨年までの指導の成果と課題をどう今年の取り組みに入れて,それを乗り越えようとしたのかが語ってほしかったところ。
もしかしたら,そういった記録が残っていなかったのかもしれない。
でも,どんな力をつけたいのかという教師の願いや思いがあって,それを指導の方法に落としていくことになるが,この実践ではそこら辺がやや曖昧だった。
任せるというのは,聞こえがいいが,放任になって這い回るというのは歴史が教えるところだ。
教師の教え込みが1つの極であれば,放任も反対の極である。
おそらく,両極ではなく,中間になるであろうから,子どもたちに任す部分と,指導する部分とを区別する必要がある。
つまり,子どもたちでは乗り越えられないであろうポイントはどこで,そこにどのような指導を入れるのか,そして,どのようにして子どもたちに任せていくような指導をするのか,ここが問われるのだと思う。
もう一つ気になったことは,やりたくないけど来た子どもたちがいたというが,この子たちも含めて,子どもたちにどんな話をしたのか。
ここに来るとどんないいこと(つらいこともだけど)があるのか,という利益誘導も必要ではないかと思う。
子どもにとっては,先行きのことは想像しにくいだろうから。
そのために,前年度までの終わった後の子どもたちの感想などを用いるのも1つの手かもしれない。
また,あらかじめ,どんな応援団にしたいのかというような意思確認と合意形成が行われていれば,その都度の活動においてフィードバックするなかで,目標と現状のずれを埋めていくことも可能であったかもしれない。
途中,活動がややダレたということだったから。
そういう意味では,この実践をしてくれた先生やその集団が育つための実践報告になったのではないかと思う。
報告した先生は,熱心にメモを取られており,次回の取り組みに生かそうとしていた。
さて,学力テストの1点や2点の競争で疲弊し,塾がはやるような子どもの育ちよりも,学校で子どもたちが自信を持って生活できるような力をどうやってつけるのか,自分たちが社会で生きていくためにはどんな力をつけるのかの議論をした方が生産的だ。
生活が厳しいのであれば,自己責任ではなく,どうやってその社会で生きていくのか,どう声を上げていくのかがいずれ問われるのだから。
しかし,今の現場では,そういった議論をすることも難しいのだろう。
その意味で,今の現場では,子どもの自治の力を育てるための重装備の行事を行う体力や気力はないかもしれない。
だから,取り組みは小さくても,確かな手応えを感じるような実践を,積み上げていって,それらのリストを長くほしいものだ。
誠実な先生たちに期待したい。