体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

愛知支部での学習会について

こんにちは。石田智巳です。

 

今日21日は,愛知支部の学習会に呼ばれたので,そこで話す内容をざっと紹介します。

議論については,後日報告したいと思います。

では,どうぞ。

 

9月の上旬に,愛知支部の伊藤さんから支部の学習会に来てほしいといわれた。

伊藤さんは,愛知支部だが,家は三重(出身),勤めは岐阜と東海三県を股にかける男である。

 

お題は,まさに今書いている「実践記録について」である。

一応OKを出したが,そのときは,まだ「これから書く」というときであり,何が出るのかはPCに向かって見ないとわからないという状況だった。

 

こんなのでいいのかと思ったが,「仕事は断らない」(なるべく)というポリシーで引き受けた。

そしたら,伊藤さんからメールで詳細が届いた。

それが以下。

 

「今回の学習会は、2014年度の例会にて実践提案、学習会で報告・提案する若手会員をターゲットにした学習会です。(とはいってもいつもの支部メンバーが集まる例会的なものになると思います。)
これから実践をつくる前に学習会を開きたいとのことで、例会とは別に企画しました。
 
来年度の提案者には、中堅・若手会員が中心であり、「なぜ実践記録を書くのか」「なぜ体育同志会は実践記録を綴ることを大切にしてきたのか」など十分に理解していない方も見えます。
夏大会で「リボン走」や「ねこちゃん体操」など体育同志会の実践のハウ・トゥー的なことはわかっているのですが、それをどのように子どもたちに迫り実践をつくっていくのかというところまでは、心配な部分が多くあります。
 
過去の例会の実践報告では、子どもの作文などもなく、子どもの学びの様子が見えない実践の経過のみを示した実践報告もありました。
逆に体育の技術指導のなど取りあげず、学級や子どもの生活の課題などが全面に出た報告もありました。
 
そこで、先日の常任会議で石田先生のブログが話題になりました。先生が「教師が成長することを対象とした研究としての『実践記録の書き方』」と課題とされていますように、石田先生に「なぜ実践記録を書くのか」「どうして実践記録を綴ることが大切なのか」ということをお話しいただきたいと会議で盛り上がった次第です。
中略
当日は、石田先生のお話の後、支部研究局より実践記録の書き方について中川実践を事例にあげて紹介したいと考えております。
 
また内容につきまして、ご意見、ご助言ください。
何卒よろしくお願いします。」
 
丁寧なメールであった。
その後も,メールのやりとりがあったが,それを載せると今日のブログは伊藤さんのメールがほとんどの中味になるのでやめる。
 
ところで,上に紹介したメールは9月5日に届いたものだ。
それを読んで,いったん忘れて,自分なりにブログのストーリーというか,実践記録について何をどういう順番で書いていこうかを考えた。
とりあえず,目の前の課題をやりながら,ブログの記事をまとめた方がいいと思ったからだ。
 
最初はやっぱり,体育の話だよな。
でも,「実践記録とは何か」,「起源はどこに?」等も大切だし。
生活綴方と関係があることは何となくわかってはいたが,実際にはどのように書かれていたのかとか,それをもとにどうやって実践研究をしていたのかなどはわからない。
事典を読むと,生活綴方,教科研,全生研などがやはりリードしている。
じゃあ,体育同志会ではいつからになるのかとかも気になる。
 
それで,授業研究の話に持っていったり,そしたら佐藤学さんの話になり,東大附属へいったことを思い出したりしてちっともまとまらない。
でも,昨日の小林篤さんのマッピングでひとまずは実践記録の位置づけは終わり。
 
なぜ書くのかとか,何を書くのかについては,実はまだ書いていない。
とはいえ,思うことがないわけでもない。
とブログをふり返ってみようとする。
 
毎日の記事にはカテゴリーをつけている。
実践記録について書いている記事には,「実践記録」というカテゴリーがついている。
ところが,僕の技術では,カテゴリーごとに記事を集めることができない。
なので,手動検索となってしまった。
 
で,以下は今日話す内容である。
 
1)最初の前提
これは,思考が先にあるのではなく,言葉が先にあるということをいう。
 
2)はじめに生活綴方がある
これは,実践記録の歴史,実践記録の形式などは,生活綴方と関係が深いことをいう。
そして,生活綴方教育運動は,社会変革のための教育運動であったこと,日本で生まれた方法として,戦後の植民地教育のオールターナティブとしてでてきたことをいう。
 
3)体育における実践記録の起こり
城丸さんの怒りと嘆きを紹介し,当時(1952年)の佐々木賢太郎さんの実践記録を紹介する(ガリ版のコピーつき)。
 
4)体育同志会における実践記録の萌芽
ここでは,伊藤高弘さんの「なぜ実践記録を書くのか」を取り上げて,体育同志会的な特徴を見いだす。
 
5)そして,なぜ実践記録を書くのか
 
6)実践記録のリアリズムとは(今日は省略)。
 
7)実践記録の課題
 
8)体育同志会における実践記録の内容の私見
 
という構成である。
ブログのコピペが多い。
 
おそらく,ベテランの先生方も来られるから,具体的な話はベテランにしてもらおう。
こういう話をするときに,枠組の話は研究者でもできる。
でも,具体的な授業づくりの勘所は,実践家の経験が圧倒的にものをいうのだ。
例題を出しておいた。
一つだけ載せておく。
(中3の実践)「二学期のはじめには,班長の立候補者が,11人になった」。
 
これは大西忠治さんの本からとってきた。
これだけしか書かれていない。
省略されているのは何?
というか,読んだあなたはどんな突っ込みを入れる?
 
書かれていないことを読むことが大事という例である。
 
愛知の人はまた後で。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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