体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

京都支部の拡大常任委員会

こんにちは。石田智巳です。

 

昨日,9月15日は,13時から東寺で第1回の体育同志会全国研究局会議が開催されました。

その同じ日に,10時から支部の拡大常任委員会が資料センターで開催されました。

今日は後者の報告です。

では,どうぞ。

 

天川村のバンガローに2泊して,朝帰り支度をする。

予定では,11時の橿原神宮前初の電車に乗れば,お昼ご飯を食べても余裕で東寺につける。

そのためには,10時には天川村を出発する必要がある。

 

しかし,その前日,福川さんから電話があって,10時から京都支部の常任委員会があるがどうかと訊かれた。

そのため,1時間繰り上げて,10時の橿原神宮前発の特急に乗ることにした。

そして,11時過ぎに京都の資料センターで会議に合流。

 

集まったメンバーは11名。

20代から30代が3名。

40代は3名。

50代,60代が5名(だと思う)。

 

各部局から,総会に向けた総括と方針が出される。

財政の問題,それとかかわった組織の問題,根幹の研究の問題。

それを伝える編集の問題。

これまで各部局の長をやってきたのは,花田さん以外はみんな50代。

もう引退という年代である。

 

それを今回,若手に委譲することで人事の刷新を図ることに。

しかし,水曜日の会議では,大もめにもめたようだった。

でも,ようやく決まったようである。

 

塩貝さんの書かれた組織財政案には,次のようにある。

 

「急激な会員減少で,経常経費をまかなうことが困難になっています。

当面の対策として,募金や債権を組んで対処しつつ,再会したスキーの取り組みや,講座の参加者からのカンパを募ること,書籍の販売に力を入れるなど,可能な取り組みを検討し強化します」。

 

こういう地道な努力が必要なことはいうまでもない。

また,会費などを払っていない会員から集めきるということも必要だ。

しかし,僕も敢えて言わなかったが,飛び道具も必要だと思う。

 

「飛び道具ってなんですか?」

「察しが悪いな。考えてみてごらん。うまくいけば支部の財政が潤う方法が一つあるだろう。」

「う~ん???」

「ほら,2010年にやっただろ。」

「そうか。全国大会の開催だ。」

「その通り。」

「誰がやるんですか?」

「・・・・」

 

いやあ,それは無理だろうという反対意見が出ることは,火を見るよりも明らか。

たなごころを指すようにたやすく想像できる。

 

さて,研究に関しては(なんと,僕は支部の研究局員だった),口野さんが苦労して総括と方針を作ってくださったが,軸となるものがほしいと思って意見を述べた。

それは,やはりきっちり丁寧に実践づくりをやるということだ。

僕は,ずっと実践づくりだとか,実践分析方法論の構築を訴えてきた。

とはいえ,京都支部では自分がいつも参加できていない負い目もあって,容喙することは避けてきた。

が,やはりここは一言いっておこうと思ったのだ。

この機会を逃すと,自分も研究局員なので,総会では反対意見は言えない。

 

実践づくりについては,もちろん,支部でも丁寧にやっているとは思う。

が,京都支部のオリジナルを作っていく必要があるように思うのだ。

内容を作るのだが,その作り方や枠組みを学ぶことに主眼を置きたい。

僕たちの先輩実践家に丁寧に学び,他支部にも学ぶことで,京都支部の構築してきた遺産を発展させるレベルにもっていくのだ。

 

岨さんが,兵庫支部でやろうとしていたことは印象的だ。

「実践記録を書くこと」を中心に据える。

中心(軸)をすえて,その周辺に理論や実技の講習などを位置づける。

 

残念ながら,今の力量では,理論を取りだして学習しても,それが自分の血肉になるとは思われない。

そのための水準に達するためには,もう少し授業を構築する力をつける必要がある。

これは京都支部だけの課題ではない。

今の若い教員が忙しいのはわかるが,だから研究は自分の実践にダイレクトに跳ね返っていくものである必要がある。

 

そもそも実践づくりは難しい。

教研集会で,大味さんが,すでに学校で上から3番目の年になって,他のクラスの若い先生たちを巻き込むことに苦心しているという話をした。

実は,体育は蔑ろにされていることが多いようだが,それでも建前上はカリキュラムがあるので勝手に変更はできない。

体育館や運動場を勝手に優先的に使うわけにもいかない。

だから,学校の了解がいる。

 

マットの数,跳び箱の数,あるいはバスケットのゴール数によって,グループの数が制限される。

合体で一斉授業の水泳では,グループ学習は難しい。

授業が終わった後に感想文を書かすには,どういう工夫が求められるのか。

 

長野の小山吉明さんは,自分でバスケットゴールを作ってしまったという。

「中学校3年生のバスケットボール」『たのしい体育・スポーツ』2006年10月号所収。

 

「もともと私はバスケットの指導が大の苦手=嫌いだった。

それが手製のバスケットゴールを作ったことで一変した。

現在本校の体育館にはバスケットゴールが11個ある。

そのうち5個は私が作ったものだ。

1個約1万円のリングを購入し,後はコンパネを使って作り,ギャラリーに設置した。

練習の際に各班1個のゴールを使うことができる。

班で計画した内容を,班員が攻守に分かれて練習できるのである。

ゴール下に立ち止まり,納得いくまで話し合っている場面をよく見かける」(27頁)。

 

大阪の中川孝子さんは,体育の次の時間は国語になるようにカリキュラムを組み,そこで感想文を書かせるという。

そして,昨年の10月に大阪で話をしたときに,「子どもが書けないということは,私の授業ではありえない」と云われた。

そのときに,その方法は聞き出せなかったが,みやぎ大会のグループ学習分科会で一端が語られた。

書けなかったら書くように指導するし,「楽しかった」とかだけ書いてあったら,「そんなんどうでもええねん。その時間に何をやったのか,なにを学んだのかを書きなさい」っていうそうだ。

さらに・・・・(省略)。

 

感想文の中味が質的に高いというのは,基本的には,教師の側が「教える内容が明確になっている=教えたい動きを言葉にすることができる」ことが要求される。

等々,実践するということは,単に教材(教材化された教材)を子どもに与えるだけではない,おさえどころがおさえてあることが必要なのだ。

 

ということで,自分が実践をやる条件を整えること,学校づくりも含めて,実践づくりの方法を学びたいと思う。

 

そのときに,僕は若い教師だけが実践をして,ベテランはそのサポートというはダメで,ベテランのレポートでまさに若い人が気づかない点を学ぶことが必要だと述べた。

その時に,部屋を見回して,「このなかに,来年度現役で授業をする人が何人いるのか」と思って,ため息をつきかけたところ,ベテランの大味さんと長尾さんが立候補してくれた。

 

素晴らしいことだ。

これで,後は若手の授業づくりと絡めて例会を組んでいければいいなあと思う。

口野さん,よろしくお願いしますね。

 

 

 

 

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