実践記録について6 佐藤学「改革の動向」を読む
こんにちは。石田智巳です。
今日は,昨日の続きです。
昨日は,実践記録の授業研究における位置づけを確認しようと思って,授業研究の流れを概観しました。
そこには,実践記録は全く出てくることはありませんでした。
なぜならば,教師が行う実践記録を元にした授業研究と,研究者が行う授業研究とは乖離したものだったからです。
そして,研究者による権威主義的,官僚主義的な授業研究にメッタ打ちを食らわせたのが佐藤学さんでした。
「『パンドラの箱』を開く」という文章でした。
今日はこの本を読むのではなく,昨日と同じテキストの続きです。
日本教育方法学会編『日本の授業研究 上巻』(学文社,2009)
たまたま佐藤さんが書かれている部分です。
では,どうぞ。
日本が独立してから,授業研究は大きく3つの推進力によって担われた。
一つ目は,大学研究者が進めるアカデミックな授業研究である。
二つ目は,民間教育研究団体によるものである。
三つ目は,学習指導要領体制ができあがり,その元で授業研究(研究授業)がおこなわれる。
これら3つともに,1960年ごろに始まっている。
つまり,1958年の学習指導要領が官報に告知されたことが大きい。
しかし,これら3つの推進力はともに,80年代になって構造的な転換を迫られたという。
第一の推進力については,昨日,書いたように,佐藤さんはメッタ打ちにした。
が,ここではかなりソフトに書いている。
ここは,前回の内容とかぶるので省略。
第二の民間研究運動も,「その多くが活力を失い衰退傾向にある」(105頁)。
その要因は,単純ではない。
教員組合運動の衰退と分裂。
団体ごとに分化し,交流を弱めてきた。
「教材の自主編成」の成果の多くは検定教科書に吸収されることで,運動の意義が曖昧になってきた。
僕たちはこの沿線上にいるというわけである。
とりわけ,今回の学習指導要領には,体育同志会の研究成果が反映されていることが認められるのである。
さて,前2者に比して,第三の教育行政が推進する授業研究とその研修は,1970年代以降影響力を強めている。
さらに,それを補足的にサポートするものとして,地方国立大学教育学部の附属校における授業研究がある。
「しかし,近年,都道府県や市町村の教育委員会の指定研究校制度の機能については疑問視する傾向も強まり」,受講者は減少し,附属学校の公開研究会への参加者数も激減している。
その理由の一つとして,「教員研修センターーの提供している研修内容や附属学校の提供している研究報告や授業実践が,旧態依然としていて,教師の高い要求に応えられていない」(107頁)ことがあげられる。
大貫耕一さんも,このことを指摘しているし,若い先生で体育同志会のような会に集う人はまさに「高い要求をもっている」のであろう。
なお,研究指定校の研究主題は様々であるが,そうはいっても学習指導要領の影響は大きい。
「中央教育審議会の答申の言葉や学習指導要領の言葉が,これほど学校の現場に浸透し,教師たちの授業実践を統制した時代がかつてあっただろうか」(108頁)。
前の記事でも書いたように,90年代になると佐藤さんの批判もあって,授業研究は新たな動きが出て来ている。
その一つは,「技術的実践から反省的実践へ」といわれたように,教材の開発よりも,教師の専門的力量の開発を目的とする授業研究が普及していることである。
二つ目は,事例研究の意義の再評価。
そして,三つ目はビデオ記録の活用により,教室の出来事の全体が研究の対象とされるようになったこと。
四つ目は,学力への関心である。これにより,授業と学びを狭く限定する傾向がある。
五つ目は,プログラム型の授業から,プロジェクト型の授業実践への変化。
これにより,授業のデザインと活動や経験の意味の探求が研究の焦点となってきた。
六つ目は,教師の教える技術よりも,子どもの学びの事実が検討の対象とされていること。ここに学びの共同体も位置付くのである。
佐藤さんの著作を読んだことがあれば,だいたいイメージできると思われるが,読んだことがない人のために,僕が紹介したかった部分のみを取り上げる。
上の三つ目とかかわって,授業研究のパラダイム転換は,ナラティブ・メソッドといわれるように,「語り」をドキュメントする研究も準備している。
ここでいうナラティブは,ナレーションのようなまさに教師の語りから教師が見出している意味をさぐるというものである。
しかし,「なぜか日本において文字による授業の実践記録や教師の語りを対象とする授業研究は,欧米ほどに発展していない。
日本には大正期以来の教師の語りと実践記録という豊かな専門家文化の伝統があるにもかかわらずである。
この点については,今後検討される必要がある」(110頁)。
「授業研究のリソースとなる『授業実践記録』は,もう10年以上,本として出版されることはまれであり,教育雑誌からも姿を消して久しい」(114頁)。
ということなのである。
実践記録は,教師文化として古くからあるにもかかわらず,研究者が俎上に載せていないのだ。
戦後に限って云えば,今から60年前の1954年に教育科学研究会の機関誌『教育』に,実践記録集が出された。
1960年以降,教師の生活の記録(勝田守一),あるいは教師の生活綴方である「実践記録」が書かれるようになっていく。
その後,何人かによる実践記録論も出されている。
体育同志会では,最近でいえば,久保健さんが『たのしい体育・スポーツ』2011年2月号に「なぜ実践記録を書くのか」と題して書いている。
久保さんが参照している,勝田守一さん,坂元忠芳さんは,教科研のメンバーである。
さらに,以前紹介した子安潤さん,そして『実践記録の分析方法』(明治図書)を書いている大西忠治さんは,全生研のメンバーだ。
つまり,民間教育研究団体では深められてきた。
よく指摘されることだけど,民間研の成果はあまり学会ベースには乗らない。
だから,相手にされていないのか,相手にしにくいのかわからないが,昨日,今日の話では出てきていない。
でも,佐藤さんは重要だと指摘している。
ということで,次は体育における実践記録の位置について書いてみたいと思います。
(明日ではありません)。