体育と実践記録5-授業研究と実践記録
こんにちは。石田智巳です。
さて,今日は,体育と実践記録についての続きです。
実践記録は,授業研究,あるいはサークルの研究活動の主要な位置を占めます。
そのため,体育の実践記録の中味を展開する前に,実践記録が授業研究においてどのような位置を占めるのかについて,確認しておきたいと思いました。
テキストは,これです。
日本教育方法学会編『日本の授業研究上巻 授業研究の歴史と教師教育』学文社,2009
では,どうぞ。
日本の授業研究の起こりは,戦前からあった。
それは,大正自由教育の時期に,児童中心の教育,いわゆる「新教育」運動が起こる。
体育同志会が発祥する和光学園(ただし,このときは和光小学校)ができるのもこの時期である。
そこでは主として,師範学校の附属や私立学校で研究が行われていた。
僕が奈良女子の附属に行ったときにいただいた資料にも,そのことは載っていた。
が,どんな研究が行われていたのかは詳らかではない。
これについては,鈴木明哲さんという研究者が研究しているので,いつか参照しておきたい。
もう一つ,戦前(といっても,昭和前期)にはやっぱりというのか,生活綴方があった。
このテキストには,「授業の公開研究会が軍国主義の圧力が増す1940(昭和15)年にも行われていたということ」を特筆すべきこととしてあげている。
とはいえ,これは前にも書いたが,当局によって弾圧されてしまった。
その後は,戦後の新教育である。
戦後すぐは,大正自由教育と同じ児童中心主義で,各学校がカリキュラムを作り,授業を公開していった。
そして,戦後の授業研究の変遷を素描しておく。
これから取り上げるのは,片上宗二さんによる「授業研究の現在―二つの視座から―」である(95-103頁)。
戦前の授業研究が,国定教科書があったため,せいぜい「どう教えるのか」であったのに対して,戦後の授業研究は,授業を丸ごと研究対象にできるようになり発展する。
その一つが,実証主義に立つ研究方法の科学化であり,「授業の再現可能性」が目指された。
例えば,テープレコーダーの活用による逐語記録の作成である。
また,教師の発問と子どもの答えに着目して,授業の事実を構造的に把握するやり方も登場した。
これは,今でもときどき見られるものだ。
教師の発言を分類すると,「あなたの授業は説明ばっかり」だとか,「発問や揺さぶりがない」とかが明らかになって,それを改善に役立てるとか。
授業研究は,教師の力量形成を目指す校内研究の柱に位置づけられることになる。
そして,より良い授業を求めていくと,あるべき授業の法則性の研究が行われるようになる。
これは1970年代に,大学の研究者を中心に展開された。
いわゆる教授学の構想である。
授業研究は,教科内容の具現化をめざしてこそ意味を持つという動きも出てくる。
教科書という狭い範囲ではなく,より新しい教科内容が求められるという考え方に立つ。
それは,かつての「教育内容の現代化」に端を発するといえる。
ここに数教協や歴教協,そして体育同志会も登場する。
1990年代になると,研究もパラダイム化され,定型化されて誰もが実践可能なかたちに落ち着き,成果を生み出す。
しかし,定型化は,研究の形式化,硬直化,矮小化ももたらす。
そこから,批判や脱構築の動きがはじまる。
いろいろな批判が出て来るがここでは省略。
僕が,ここが重要だと思ったのは,「授業研究の枠組み」そのものへの批判が出てくることだ。
「これまでの授業研究は,『価値中立的』すぎたのではないか。また,『授業の科学』という神話の上に立ってなされてきたのではないかという批判である」(p.100)。
これはさらっと書いてあって,わかりにくい。
いずれにしても,こうして,新しい授業研究への模索が起こる。
それは,学校改革や学校づくりの基盤として行われる。
研究手法としては,ディスコース分析(談話分析),質的研究法,エスノグラフィー,ナラティブ・アプローチなどが見られるようになっている。
ということだ。
思想的にいえば,主観-客観図式の批判,自己中心性への批判から,構造主義の思想が教育界に入ってくるという感じか。
「価値中立」と書かれてあったが,例えば,透明な空間で,名前も顔も持たない先生と子どもたちのやりとりを分析することにどれほど意味があるの?という問いであろう。
さらに,授業は,教師-教材-子どもの三角モデルではなく,教師-教材-子どもに加えて授業が生起する場面を加えるべきだという主張でもある。
そして,研究方法としては,エスノというぐらいだから,構造人類学の方法が取り入れられるわけである。
あれっ?
実践記録の位置づけはどうなった?
全く触れられていないではないか。
この授業研究の流れは,基本的には客観的,実証的な研究の系譜を示している。
そして,大学の教育研究者(あるいは授業研究者)の行う研究が,1960年代に生まれてから,どのような展開を見せ,そして衰退していったのか,を中心に書かれている。
そのため,「研究者がどのように授業研究への関わってきたのか」の系譜を示しているにすぎない。
僕たちがイメージする「実践記録」とは,授業を行う教師が自らの授業(一つの単元)を振り返って書く記録のことである。
そのため,研究者を中心とした記述には,実践記録が出てこないのである。
やや空振りの観がある。
前に書いたように,実践記録が出てくるのは,1950年代に入ってからである。
以前にも書いたが,1954年に教科研で実践記録集が出される。
それ以来,教科研などの民間研にかかわる教師たちは主として実践記録を書く。
つまり,実践記録は現場教師を中心とした研究である。
なお,1990年代にそれまでの授業研究のあり方を批判したのは,佐藤学さんである。
片上さんは,佐藤さんの批判をなぞって書いているわけだから,歯切れが悪い。
そして,佐藤さんの批判とは,「『パンドラの箱』を開く 『授業研究』批判」(『教育学年報1 教育研究の現在』世織書房,1992年)である。
ここで,研究者の権威主義的,官僚主義的な教育学がメッタ打ちにされる。
このテキストでは,片上さんの次に執筆しているのが佐藤さんである。
ということで,明日は佐藤さんの書いた文章を読みたい。
メッタ打ちを読むわけではなく,実践記録について読むのである。
というか,それを読むために,今日は空振り観を漂わせても,書いておく必要があった。
僕は,新しい研究方法のディスコース分析やエスノ(メソドロジー),ナラティブ・アプローチなどは,実践記録と親和性が高いと思っている。