体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

体育と実践記録について1-実践記録以前

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,体育と実践記録について書きます。

なかでも,戦後,学校体育において実践記録がどのようにして生まれてくるのかについてです。

今日は,城丸章夫(しろまるふみお)さんの文章を読んでみたいと思います。

読むのは次の文献です。

 

城丸「体育科」勝田守一他著『国民教育の課題』(全国教育新報社編集部,1955年,68-74頁)

 

では,どうぞ。

 

日本が戦争に負けた1945年以降,学校体育もまた大きく変わらなければならなかった。

 

城丸章夫さん(1917-2010)は,教育科学研究会(教科研)の指導的役割にあった人だ。

この人は,戦争経験者であり,軍隊生活の嫌な思い出を様々なところに綴っている。

 

もとより軍隊と体育科(体操科,体練科)は,親和性があった。

戦前,戦中の日本の教育においては,「修身」が天皇の赤子としての国民のありようを教え,「体育科(体操科,体練科)」は,兵式体操が教材となり,軍人が入って教えることになった。

だから城丸さんは,体育に携わるも,体育に厳しい。

 

戦争が終わると,まず戦時教育の停止が行われた。

例えば,武道や,ヘイタイゴッコ,一斉指導,号令・命令による指導は禁止された。

そして,教育の目的は,「民主的な人間の形成」が据えられるようになった。

制度や理念においては,戦前と戦後の体育に,断絶や非連続をもたらした。

 

しかしながら,「東京からの軍国主義」を「東京からの民主主義」に変えただけで,いずれをも恭しく受け取る態度に表れているように,精神面の連続は残ったままだった。

 

戦争から10年たった1955年に,この文章は記されている。

最初の文章は以下の通り。

 

「国語でもいい,算数でもいい。小中学校の任意の教科をとってみよう。

それらには,すべて,現場教師の書いた指導の実践記録が出版されている。

また,よく売れてもいる。

ただひとつ,体育科には実践記録が出版されていない。

体育雑誌もそうだ。

教材の解説と研究授業用の模範指導案が載っているだけで,現場教師の労苦のあとである実践記録は,のっていない。

私はききたい。

体育科の現場教師は,そのように無能であり,怠惰なのかと。」

 

このように現場の体育教師が無能なのかを問うが,次のようにもいう。

「おそらくそうではあるまい。実践記録がでないのは,実践記録を書かせない何ものかの力が,体育科教育界には存在しているのだ」。

 

「実践記録が売れないのは,それを必要としない体育科教師一般のあり方が原因なのだ。

体育科教師の世界には,上から下への流れは存在しているけれども,下から上への流れは存在しないのではないだろうか。

名もない多数の教師が,子どもたちとともに苦闘しているのだが,体育科指導者たちは,教えをたれるだけで,その苦しみに一顧の値打ちも認めてはいない。

現場から学ぶことの必要を感じてはいない。

指導記録が世に出ないゆえんである」。

 

ここでいう体育科指導者というのは,大学の研究者たちのことである。

ふんぞり返った体育科指導者たちがいて,「下から上への流れをつくりだせない体育科教育界はおよそ,民主的教育を行うという体制にそぐわないものだ。」

 

「もっとも封建的でありボス支配の徹底しているのは,体育科教育界ではないだろうか」。

 

栗本義彦はサンフランシスコ講和条約が結ばれると「再軍備の意義と体育の使命」(『新体育』1952.10)を著した。

戦時下において,戦争に荷担する発言をした指導者たちは,戦後に民主主義を主張した(例えば大谷武一)が,その空々しさを城丸さんは肌で感じ取っていたのだろう。

 

ただし,これは体罰・暴力問題を考えるならば,昔も今もたいして変わらないのだ。

 

さて,城丸さんの指摘が面白いのは,戦後の体育科が民主的でないのは,現場教師が書いた実践記録がないことに現れているといっている点である。

つまり,1955年の12月の時点で,体育の実践記録を集めた出版物はなかったということである。

 

城丸さんは,次に「輸入体育科」への批判を続ける。

学習指導要領の体育科篇に示された体育の目標は,アメリカの普通の参考書にゴロゴロしているもののまる写しであった。

「民族の教育をまもろうという声は,今や,教育者大衆の世論とさえなっている。

ひとり体育科だけが例外である。」

 

ここら辺はやや解説が必要かもしれない。

つまり,城丸さんが言うとおり,戦後の新体育は,アメリカの体育に学んだというのは事実である。

しかし,明治24年以降の兵式体操や軍事教練的な内容を持つ昭和初期の日本の体育は,当時,そのオールターナティブを持たなかったのである。

日本の国民大衆のための体育の理論は「まだなかった」ということであろう。

 

そのため,体育科において,「民族の教育をまもろう」という動きを結びつけることは難しかった。

というか,これからであった。

 

では,「民族の教育」とはなにか?

そのことは,ここには書かれていない。

が,城丸さんは,後に匂わせる(後述)。

 

いずれにしても,1955年当時の日本の体育=アメリカ植民地体育をさして次のように云う。

「なんという輝かしい体育理論であろうか。何という恥知らずな体育であろうか。日本を真に愛し,体育を真に愛する人は,一日も早く,この植民地的体育から脱却すべきである」。

 

そして,以下のように結ばれる。

 

「教育としての体育の建設は,恐らくは,体育を子どもの生活指導とむすびつけることから始まるであろう。

いわば,体育における生活綴方的方法の発見から始まるであろう。

体育の教師が子どもに文章を書かせるという意味ではなく,体育を通して,子どもの生活の様々な投影をつかむことと,つかんだものを体育をすることによって,生活にまで投げ返す教師の目と方法とを鋭くするという意味である。

それはまた恐らくは,体育を通しての集団性の発見につながるであろう。

そのような体育は,まだ,公然とは生まれ出ていない。

しかし,多くの現場において。(句点はママ)体育,このよきものの探求の途上において,生まれつつあることを確信する」。

 

話の要点をまとめてみよう。

①1955年当時の体育界は封建制が残ったままで,民主化されていない。だから体育に実践記録がない。

②戦後の体育は,アメリカ直輸入の植民地的体育。民族の教育を守るという観点はない。

③教育としての体育の建設は,生活綴方的方法の発見から始まる。それは生活指導と結びついた体育である。

 

つまり,未だ実践記録が出版されていないなかで,城丸さんが思い描いていた体育の実践記録とは,「生活綴方を用いた体育の記録」と云うことである。

 先に述べた「民族の教育」とは,生活綴方を用いた教育のことである。

 

今とは若干違うが,戦後は右も左も愛国心の喪失を嘆いていた。

*このあたりは,小熊英二『<民主>と<愛国>』(新曜社,2002)に詳しい。

とりわけ,左はまさにアメリカ直輸入の生活教育,カリキュラム,ガイダンスなどを植民地教育だとして,学力の低下を嘆き,生活教育といいながら現実の生活と遊離した教育を嘆いていた。

 

そこに様々な機運があるなかで,1950年に日本綴方の会が出来る。

当時,国分一太郎が生活綴方「復興」を訴え,翌,51年に国分『新しい綴方教室』,無着成恭『山びこ学校』などが出てくる。

 

では,生活綴方がなぜ「復興」なのか。

生活綴方は,国分の言葉を借りれば次の通りである。

「いわゆる生活綴方は,しいたげられた農民や労働者の子弟に対する愛情のいとなみであった。

ひとくちにいえば,封建的な,資本主義的なきずなによって抑圧された子どもたちの魂を,ありのままの生活を見させることによって,よりよい生活をのぞむ意欲にさおさして,新しい生活を建設する,かしこい知えをみがかせることによって,自由に,民主主義的に,解放させ,組織していこうというものであった」(ほるぷ版,18-19頁)。

 

生活綴方運動とは,大雑把に言えば,民主主義のない時代に起こった,社会改革,新しい生活を建設する運動であった。

そのため,昭和になって出来たこの「我が国固有の方法」は,当局から目をつけられ弾圧され,綴方教師は検挙,処刑されたのであった。

そういった困難ななかで守り通そうとした,そして植民地教育のオールターナティブこそが,生活綴方だったのだ。

 

戦後の民族の教育を訴える状況のなかで,体育だけは蚊帳の外であり,実践記録がないと城丸さんは嘆くのであった。

 

このある意味待望の体育の実践記録集は,翌1956年に出版されることになる。

それが,佐々木賢太郎『体育の子』(新評論社)であり,亀村五郎『考える体育』(牧書店)である。

 

だから,体育における実践記録のルーツ(出版物)とは,生活綴方的体育実践の記録(佐々木)であり,作文を用いた体育実践の記録(亀村)であった。

 

なお,生活指導という言葉は,戦前の生活綴方運動において生み出された言葉である。

これについては,これ以上触れないが,機会を見つけて書いてみたい。

とりわけ,佐々木研究者の僕としては,何らかの還元を行いたい。

 

 

 

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