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体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

全国教育研究集会in香川 最終日1 エイサーの実践

体育・スポーツ 教育

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,全国教研in香川の最終日の様子を報告します。

二つの実践があったのですが,前半のエイサーの実践の議論の様子と考えたことをお伝えします。

では,どうぞ。

 

昨日は大ジョッキでビールを飲んで,うまい日本酒も堪能し,すっかりご機嫌で宿に帰って寝た。

朝は,6時前に起きて走りに行く。

昨日走れなかったので,朝にしては少し長めに走る。

 

それから帰って,昨日のブログを書き始める。

ほぼ書けたが,まだ写真の整理ができていない。

でも時間切れで,ホテルをチェックアウト。

 

会場についてからもまだ書き足していく。

結局,昼休みいっぱい使ってなんとか完成。

それが昨日の記事。

森さんも,福川さんも,お弁当があるのにうどんを食べに。

僕は一人ブログの整理。

 

さて,午前中は昨日のエイサー実践の質疑と議論であった。

4年生の運動会の種目としてエイサーをやることにした。

そのため,3クラス合同での体育授業実践であった。

今回の取り組みは,「グループ学習」で取り組んだところに特徴があった。

 

民舞(民俗舞踊)の実践は,お師匠さん方式(先生が子どもたちに稽古をつけるような方式)になりがちで,子どもたちの学び合いが組織されないという批判を受けて,敢えてチャレンジした実践だ。

 

民舞を研究する先生たちは少なくなく,かなり入れ込む人が多い。

現地に出向いて見たり,教わったりすると云うこともよく聞く。

体育同志会の大阪支部の方々も,みやぎ大会が終わった後,岩手へ行って「さんさ」,「花笠」を見に行ったと云われていた。

 

自分がならったり,歴史を調べたりするのを素材研究というならば,それの何をどのような順番で教えるのか,あるいはそれを子どもたちの発達段階にあわせるとか,どうグループ学習に落とし込むのかが教材研究。

教材研究の手続きは多い。

 

しかし,それが「お師匠さん方式」になっているというのは,子どもたちの学びの組織にまで落とし込めていないからだろう。

 

ここでは,ちょっと脱線するが,大阪支部ニュースの7月号の黒井信隆さんの言葉を借りておきたい(「たのスポ二番煎じ」,12頁)。

これは,『たのしい体育・スポーツ』2014年6月号の特集「私の舞踊教材づくり」を批評したものだ。

 

「『口唱歌』や『かけ声』による指導法は,動きのリズムを覚えることについては,必要で重要だと思うが,小学生の子どもにとっては,わかりづらいものである。

『わかる』授業にするためには,①教材の系統性,②具体物での指導,③子ども同士教え合う,学び合う(ペア・トリオ)などの学習が重要だと思う。

一方的なお師匠さん方式について,再々問題であることは以前から指摘してきたところである。

沼倉さんの言う『足場づくり』『軸づくり』を意識させた,子どもの認識過程を深めた実践をしていくことは,賛成であり,大いにこれから取り組む必要がある。

もう一つ付け加えたいことは『どうして舞踊教育』(ママ)が広まらないのかを総合的に分析する必要がある。(以下,略)」

 

エイサー実践の指導内容の中心が,「足場づくり」「軸づくり」とは云われなかったが,ほぼ同じ意味(だと思う)の「踏み」が大切になるので,そこを4年生の子どもたちにも教えたかったという。

上手く表現できないが,エイサーでは,「足腰」(足裁き)と「点」(手に持った太鼓をたたく)の動きがあるが,「踏み」とは,この「足腰」のことを中心としたいということだろうか。

 

議論の一つとしては,「しっかり踏みなさい」といわずにどうやって子どもたちに「しっかり踏ませる」のか?

昨日の「内面化」の議論にもあったが,どんな言葉がけをすると動きが引き出されるのか。

「踏む」とは「邪悪なものや虫を追い出す」というためにある。

それをどうやって伝えるのか?

しかし,これが難しいのは,昨日の「リズム構成」と違って,エイサーは創作舞踊ではないところにある。

「地元のものを借りてきたので,勝手に手を入れることは失礼だと思う」わけだ。

このやや不自由な部分が,グループ学習を難しくしているともいえる。

だって,それだと正解を知っているのは先生のみとなるから。

 

ただ,子どもたちの映像を見ても,上手くなっていることがわかる。

途中でグループ活動が見られる。

これをグループ学習というのか?というのは,広島の県教研でも指摘されたようだ。

 

これに対しては,共同研究者の森敏生さん(彼は,今年のみやぎ大会のグループ学習分科会で「基調提案」を担当した)が次のように述べた。

「踏みの質を高めていくにはどうするのか?

見るべきポイント,視点はなんなのか。

それがないとグループ学習は難しいよね」。

 

子どもたちは楽しかった,心地よかった,達成感を味わったという感想を述べた。

それに対しても,

「心地よさをどのように外に引っ張り出して,交流させるのか。それが民舞指導の課題。グループ学習の課題。」と課題を投げた。

現地の人の動きと子どもたちの動きの比較なんかがあってもよかったのでは,とも。

 

先に,舞踊指導には,勝手に踊りに手を入れにくいという不自由さがあると述べた。

スポーツだったら,ルールは子どもたちの学びを引き出すように変える。

変える主体は子どもたち。

それはしない。

 

しかし,それよりもグループ学習を難しくしている何かがあるのではないか?

もちろん,今の子どもの身体や動きと,農耕(イセキの早苗やヤンマーのコンバインなどのない時代のそれ)を中心とした,かつての労働者の動きが明らかに違うということもある。

 

どっかに引っかかるものがあるので調べてみる。

パラパラ。

あった。

 

内田樹『修業論』(光文社新書,2013)に「修業のメカニズム」がある(189頁以下)。

これは,生田久美子さんの『わざから知る』(東大出版)とほぼ同じで,日本的な技芸の身に付け方について論じたものである。

 

いわく。

「修業では,愚直にある技術を反復練習する。そのうちある日,自分の術技の質が変わっていることに気がつく。それまで『そんなことができると思っていなかったこと』ができるようになるのである。

ここで重要なのは,この『そんなことができると思っていなかったこと』は,『この技術を身につけよう』と思ってそれに向かって努力していた当の技術とは,全く別のもだということである。

稽古の所期の目的と違うところに『抜け出る』。

それが修業のメカニズムである」。

 

レベルの高い修業の話なので,ちょっと引用がふさわしくないかもしれない。

しかし,例えば,柔道で,一直線に相手の襟を取りに行こうと手の動きの稽古をしていたところ,全く違う(例えば,足のさばきや,反対の手の動き)によって目的が達せられるということはある。

これは,サッカーでも円盤投げでも同じである。

あるときに質が変わる。

しかし,問題は,変わってほしい質の中味は,あらかじめ用意されているわけではない。

だから,授業の課題に措定しにくい。

 

それを敢えてエイサー実践に当てはめるならば,先には措定されていないが,終わった後に口をついて出る「心地よい」か?

これが質の変化を表しているのかもしれない。

 

日本的な技芸(舞踊,武道,料理など)の習得のプロセスは,西洋のピアノ練習のバイエルからチェルニーへというようなプロセスとは違う。

ただひたすら通して稽古をすると,あるときに丸ごと変化するというものだ。

それは,単なる身体の裁きだけではなく,呼吸や所作,表情など,その世界に入り込むことで「丸ごと」質が変わることを意味する。

だから,計量的に捉えることは難しい。

 

内田さんの本では,バレエのピルエットのことが載っている(78頁)。

若いダンサーたちは,練習が終わった後の自主練の時間に,必ずといっていいほどピルエット(片足でくるくる回る)をやるという。

それは,回数が数えられるからだという。

「前は12回だったが,今日16回できた」

「あいつは15回だが,オレは17回」

質的な変化や美的表現の良さを計量的に捉えることは難しいが,回数は比較可能。

これを「堕落」という。

しかし,質の変化は量の変化を含むわけであり,わかりやすいから追い求めやすい。

 

さて,エイサーとグループ学習であるが,エイサーを日本的な伝承芸能として取り扱うならば,そもそも西洋的な「分解して再構成」的方法で学ぶということは背馳に他ならない(言い過ぎていることは承知)。

 

しかし,体育同志会が子どものわかることやできること,そしてそれらの交流を通してみんなが上手くなるということを目指すのであれば,「修業」的な内容ではなく,到達目標とスモールステップを示す必要がある。

 

おそらく,舞踊指導の関係者たちは,前者にこだわるが故の逡巡があるのではないか。

それが,黒井さんが言う「舞踊教育が広まらない」一つの答えになっているのかもしれない。

 

でも,舞踊指導と「グループ学習」は,これからも実践を持ち寄って欲しいものだ。

たとえ,それが他の教材と違うものになるにしても。

 

そういう意味でも,ようやくグループ学習の議論の俎上に乗った(?)チャレンジングな実践だった。

 

 

 

 

 

 

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