体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

系統指導とグループ学習の統一4 「泣いたオモちゃん」の話から

こんにちは。石田智巳です。

 

昨日のブログの終わりに,「いったい,バレーボールって何だ?」と結びました。

バレーボールは,そういう意味では,扱いが難しい教材なのでしょう。

 

さて,今日はバレーボールについて取り上げたいと思います。

とはいっても,バレーボールの歴史を取り上げるというわけではありません。

同志会実践のなかでも初期のバレーボール実践の記録(「泣いたオモちゃん」の話)を取り上げます。

では,どうぞ。

 

同志会でバレーボール実践と言えば,今だとやはり宮城の矢部英寿実践である。

こちらも宮城の制野俊弘実践に,「ドッジバレー」という実践もある。

その昔の人であれば,「泣いたオモちゃん」の話を思い出す人も多いだろう。

 

この「泣いたオモちゃん」の話は,『たのしい体育・スポーツ』1984年秋号(11号)で,実践した本人の伊藤高弘さんが語っている。

 

もっと近いところでは,星野実さんが『たのスポ』2007年10月号で紹介している。

 

ひとまず,伊藤さんに語ってもらうことにする。

なお,オモちゃんというのは,1959(昭和34)年に和光中学校に入学した女子生徒である。

 

「当時の授業は,教材と単元終了後の校内大会とセットになっており,自主的・自治的活動を発揮する『生活単元』学習の全盛期をややすぎたころでした。中略

 

オモちゃんは九人制バレーボールの後衛を守り,練習(試合中ではないような気がする)していました。後衛にはきつい,あるいは変化のあるサーブがとんでくるので,オモちゃんは何回も受け損じたり,手を出せずにボールを見逃してしまいます。

たび重なるミスのために友達の激励も彼女には非難・怨嗟(えんさ)の声と聞こえたのでしょう。

たまらず座り込んで泣き出したというわけです」(1984,35頁)。

 

伊藤さんはこの文章のなかで,「当時の授業記録が残っていません」とことわりを入れている。

そこで,僕が勝手にいろいろ調べてみたところ,次の文献に当たった。

 

吉崎高弘(1960)「実践記録をなぜ書くか」,『体育の科学』1960年8月号,425-426頁

 

ここで吉崎さん(現伊藤さん)は,1960年当時にすでに「生活綴方を基盤とした体育に関するすぐれた実践記録が,いくつか出されている」と述べたうえで,自分の教えた子どもの作文を紹介し,それにコメントを付して,「実践記録をなぜ書くか」に答えている。

 

その作文は,「校内球技大会の中ごろに」,チームリーダーのAさんが書いたものである。

 

「ポジションにわかれて,練習をしたが,後えいにあまり,ボールがいかないので,つまらなさそうに,前えい・中えいのやるのをみている。

たまにきついボールが飛んで来て,打とうとするが,指先ではじけきれず,落としてしまう。それが何回か続くと,自分が打てないから負けるのだと思いこんで,責任を感じる。そういう人の顔を見ると,ほほがプッーとふくらんで,おこったようにむっつりしている。前えいの人が『私かわってあげるわ』と後えいの人にいうと,その人は,急に顔がくしゃくしゃになり,泣き出してしまった」(425頁)。

 

この作文には続きがある。

泣いてしまったのは,数人いたようで,反省会がひらかれた。

そこで,泣いた子どもたちの気持ちが出されるが,それに対して,みんなで解決を図ることになる。

 

伊藤さんは,この日記を読んで次のように述べる。

「実のところ少々ギョツとした。つまりポジションのことで泣く子どもが出て来るなどとは,想像もしていなかったのである。」

「いわんやまして,この問題が子どもたちの間で,反省会をもち,スムースに解決されようとは。」(1960,426頁)

 

生活単元で話し合いを重視する問題解決学習である。

当時の体育同志会の実践らしいというのか。

そして,この論文(1960)には,ポジションのことについてはこれだけしか書かれていないが,その後の研究会で,伊藤さんは次のように報告したという。

 

「泣いたオモちゃんが悪いのか,泣かせたバレーボールが悪いのか」

蓋し,名言。

 

「私の報告は,客体としてのバレーボールの規則や構造自身が,オモちゃんを追い込み泣かせた要因を内在化しているのではないか,という疑問を中心に行ったものです」(1984,36頁)。

 

まず驚いたのは,伊藤さんが子どもたちに作文を書かせていたということだ。

実は,この文章を書くに当たって,伊藤さんにメールで連絡をしたのだが,すぐに返事が返ってきた。

 

「佐々木(賢太郎)、亀村(五郎)氏とは無縁ですが,和光学園内部では生活綴り方,例えば大関松三郎などの実践は学びました。学級指導では詩を紹介したりもしました。」

 

体育同志会は,和光学園で生まれたといわれる。

その和光といえば,戦後の新教育の聖地のようなところがあって,そこで生活綴方を学んだというのは驚きであった。

なぜなら,戦後の生活綴方は新教育批判と同時に復興するから。

 

伊藤さんはここで,子どもに生活綴方を書かせたわけではない。

あくまでも球技大会の作文であるが,そこに子どもがバレーボールと出会うことで出てくる矛盾や葛藤が出されている。

 

僕は,みやぎ大会のまとめで次のように述べた。

「体育同志会が,生活と教育という場合,おそらく,子どもの生活が問題になるのは,生活綴方で明らかになる生活だけではありません。

それをベースとしながらも,教材の世界と出会うことで浮き彫りになる生活性の方であると考えます。」

 

「主体(オモちゃん)を客体(バレーボール)との関連で把握するという視点・方法は,研究方法上の一つの転機を生み出すものとしてうけとめられた」(1984,36頁)。

 

この伊藤さんの実践は,その意味でも,体育同志会で今課題とする「生活」の萌芽と言えるかもしれない。

 

そして,「子どもが悪いのか,バレーボールが悪いのか」という問いも,後の運動文化論の研究方法論に連なるすぐれた問いであった。

 

かつては,この子どもを悲しませるようなバレーを作り替えるという発想であったが,その後,子どもたちを上手くする技術の系統性研究へと向かう。

子どもたちを上手くすることで,客体の持つよそよそしさを乗り越えようとした。

今でも,この二つの方法が使われている。

 

伊藤さんは,1960年の論文のまとめで実践記録を書く理由として3つ挙げているが,3つめを紹介する。

 

「記録が,個人の動きのみを追っかけるような観察に終わることなく,その子どもの所属する集団を把握してくなかで,問題にされなければならない。

つまり,集団の活動している中で,個人がどのような位置にあるのか,どのように変っていっているのかを捉えるべきである』(426頁)

 

これはまさに,中川孝子さんたちが用いて把握しようとしている「MRI」を先取りした発想だと言えよう。

 

さて,バレーボールに関わっていえば,伊藤さんの研究方法の提出,中村敏雄実践(拙稿『たのスポ』2014年1.2月合併号参照),制野実践(『たのスポ』97年4月号),小山実践,矢部実践など優れた実践が報告されている。

そこでは,バレーボールというやっかいな教材が取り扱われている。

やっかいな教材だからこそ生み出された優れた実践とも言えるのだ。

 

これからも,ほかにもやっかいな事例を紹介していきたい。

 

 

 

 

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