体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

系統指導とグループ学習の統一1 問題意識の提示

こんにちは。石田智巳です。

 

先日のみやぎ大会での中川さんの報告が,頭から離れないでいます。

いろいろなことが議論されたのですが,中川さんは云ったことのうち,二つのことが頭に焼き付いています。

もちろん,人によっては,僕とは違うところに興味や関心を持ったと思うのですが。

 

そこで,これから,毎日ではないのですが,僕が何に引っかかってしまったのかを整理する意味で,しばらくの間,あるテーマについて書いてみたいと思います。

では,どうぞ。

 

大阪の中川孝子さんの実践を聞いてから,日が経つにつれていろいろなことを考えてしまう。

繰り返しになるが,中川報告の要諦は,僕にとっては次の二つ。

 

一つは,生活を前面に出さずに,技術指導を全面に据えることで,子どもの生活(主として人間関係)も変わりうること。

もう一つは,水泳のグループ学習は,能力の傾斜を利用して,両者が学びに拓かれること。

しかし,フラッグフットボール(ボール運動)のグループ学習は,技能差を正面に据えるだけではうまくいかないことが多いこと。

 

前者については,今大会の基調提案に研究局の問いかけとして次のように書いた。

 

『第一に,形成と達成(教えるものと育てるもの)の関係を問うことであり,これはひとまず「三とも」を意識した実践の姿の探求です。「ともにうまくなる」ということが,子どもたちに自信を与え,自己肯定感を生み,苦手だと思われていた子どもができるようになることで,仲間観やスポーツ観がゆさぶられることもあるでしょう。

しかし,スポーツと出会うことで子どもたちの個別性や違い(好き嫌い,上手い下手など)が浮き彫りになることもあります。そのため,どのように合意を作っていくのか,どのようにルールや技術を学ぶのかという,「ともに意味を問い直す」課題へと誘います。そのときにも,また仲間観やスポーツ観がゆさぶられることになると思われます。これらの関係が問われる必要があります』(『提案集』の11頁-12頁。元の原稿のママ)。

 

中川さんが教科の学習は何をおいても,教科の内容(技術,戦術)を学ぶことが優先されるべきだというのは本当に説得力がある。

これは僕の文章の前段にあたる。

だから,「同志会としては系統性研究とグループ学習研究に磨きをかけろ」と云っている。

 

しかし,僕の文章の後段の方も大切だし,生活課題を運動文化の学習にどう織り込むのかという形での教材研究も必要だと思っている。

よく考えれば同じことなんだけどね。

 

僕がこれから書こうとしているのは,この一つ目にもかかわるが,二つ目の2つの教材(種目)におけるグループ学習の仕組み方の違い(共通点も)についてだ。

つまり,ボール運動のグループ学習では,技能差だけを利用しても,人間関係の組織が難しいという指摘についてだ。

 

一つ目にかかわらせて云えば,人間関係の組織が難しいから「ともにうまくなれない」ことが結構あるのではないか。

とりわけ,ボール運動・球技は。

だから,どうやって人間関係の組織を図りつつ,技術指導をするのかが主題化される必要があるのである。

 

これについては,自分も実感してはいたのだが,「水泳とフラフトは違う」と言葉で云ってもらったから自覚することができたのだと思う。

 

そして,自分自身の経験上もこの問題にぶち当たったことがあるし,何とか乗り越えられたこともある。

道徳くさくなってしまうことも結構あったが。

「ボール運動は,技能差だけではうまくいかない」と中川さんに指摘されてわかったと云うことだ。

 

これから(今日だけではない),書こうとするのは,なので,体育とりわけ球技やボール運動の学習における人間関係の組織の難しさについてである。

方法の一つは,『たのしい体育・スポーツ』のいくつかの実践報告や論考を取り上げて,テーマにかかわる部分を紹介する。

もう一つは,「たのスポ」以前の同志会の議論も紹介する。

 

とはいえ,実証的な研究ではないし,このお気楽な文章のために文献を渉猟して,捻りハチマキをして,読みふけって整理すると云うことはしない。

だから,ストーリーを単純化しすぎるとお叱りも受けそうである。

その場合は,お叱りではなく,「こういう文献もあるよ」とか,「こんな議論がなされたこともあるよ」というアドバイスを下さい。

でないと,気持ちが萎えるので。

 

そして,この一連のお気楽研究をもとに,実証的な研究ベースに載せてほしいと考えている。

それは,そこの君のことだ。

愛知のフットワークの軽い学生で,みやぎ大会の学生代表をした君。

今でなくても結構だが。

 

そして,会でもこの部分を意識した実践報告が出されるといいと思うのだが。

中川さんは,「バトンは渡した」といった。

みんなで受け取って,新たな研究として引き継いでいきたい。

 

さて,今日はさわりだけ。

体育同志会が,この問題を取り上げるのは,僕の理解では,70年代の初頭のことだ。

以前にも紹介したが,中村敏雄さんの問題提起に載っている。

 

「私たちは,シュートのしかた,パスのテクニックなどのコーチング『と同時に』,どのような体育の指導をしてきたのか。この『・・・・と同時に』というその時間的,空間的間隙にどんな内容を,体育として指導してきたのか。

(中略)

私たちが体育の実技指導の話をしているとき,あるいはグループ分けの問題について話をしているとき,のりこえられない問題として生徒集団の技能差が提出されることがよくある。うまい生徒とへたな生徒との関係をどう指導すればよいかという問題である。(後略)」(中村敏雄「学校体育は何を教える教科であるか-高校の体育指導を考える」,『体育科教育』1971年8月号)。

 

それまでも,技術の指導と人間関係の指導はあった。

おそらく別々に追求してきたと思う。

もともと,同志会は「民主的人間関係の形成」を主題化していたから。

その後,技術指導の研究をはじめるのだ。

しかし,ここでは,技術の指導と人間関係の指導を「と同時に」追求するという。

 

後に,それをライフ・ワークにしたのが,出原さんだ。

『技術指導と集団づくり』のまえがきで,中村さんは次のように書き出す。

『「うまくなるにつれて仲間意識も高まるのか」という問題は,われわれが,体育実践において『うまくすることの意味』を明らかにすることが重要であると気付いた時,ほぼ同時に提出された問題であった』(中村敏雄「まえがき」『技術指導と集団づくり』,ベースボールマガジン社,1978年,1頁)。

 

 

今日は,とりあえずこれだけ。

出原さんの問題意識もまた取り上げます。

実践報告も取り上げます。

明日は,おそらくこのテーマとは別の記事がアップされます。

ランニングの記録もはさみます。

8月は,『たのスポ』が来ないので,過去の実践も取り上げようと思います。

広告を非表示にする
http://tomomiishida.hatenablog.com/