体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

「21世紀型能力」2-人間関係形成力について

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,昨日の日記に書ききれなかったことを書きたいと思います。

とりわけ,「21世紀型能力」のうちの「実践力」とかかわって,「人間関係形成力」や他者との関わりについて思ったことを書きます。

では,どうぞ。

 

昨日も書いたとおり,「21世紀型能力」なるものが,今後の日本の教育の中心になりそうである。

とりわけ,次の学習指導要領は,21世紀型能力の育成を目指して改訂されることになりそうだ。

この「21世紀型能力」は,DeSeCoのキー・コンピテンシーを引き写したような中味であった。

 

ところで,キー・コンピテンシーは,文科省では「主要能力」と訳している。

なぜabilityではないのか。

それは,コンピテンシーが,単なるうちに秘めた能力ではなく,行動の特性,もっといえば,「業績の高い人の行動の特性」であったり,「仕事のできる人の行動の特性」のことだからだ。

早い話が,会社でよくできる人に共通してみられる行動の特性なのだ。

企業の7割が,コンピテンシーの評価を人事考課に用いているという。

 

だから,それをそのまま学校に降ろしてくることに違和感を持ってもおかしくはない。

 

さて,6月の22日と23日に仙台大学で日本体育科教育学会が開催された。

このときに,昨日の日記に登場していただいた今関さんから,「21世紀型能力」の話を直接聞いた。

そして,すでに先取りして実践されている先生方の実践の様子もうかがった。

 

授業の様子で印象に残ったのは,子どもたちの関わりを意図的に組織しているということであった。

この「人間関係形成力」,あるいは,キー・コンピテンシーにおける「異なる他者との関係の形成」が意識されていると思った。

 

今の指導要領(2008年改訂)も,キー・コンピテンシーを意識して作成されたと書かれている。

 

しかし,例えば高学年の体育では,(1)技能の中味が書かれてあって,(2)「運動に進んで取り組み,約束を守り助け合って運動をしたり」とある。

その次には,(3)「自己の能力に適した課題の解決の仕方や・・・」とある。

 

(1)は技能,(2)は態度,(3)は思考・判断ということなのだろう。

 

その前の指導要領(98年改訂)では,「個に応じた」指導ということから,「めあて学習」が推奨された。

このときも「自己の能力に適した課題」に取り組むというものであった。

 

「自己の能力に適した課題」に取り組みながら,「助け合って運動する」というイメージがわきにくい。

 

かつて,中学校で「めあて学習」を見たときに,子どもたちの関わりが「よくできる」子どもから,「できない」子どもへと一方向的であると思った。

 

僕が見た「めあて学習」は,最初は生活グループで準備運動などをして,主要な課題のときには課題別のグループに分かれて活動し,終わりの頃にまた生活班でアドバイスをするというものであった。

 

授業中は,二つのグループに所属することになるが,実際には課題別のグループではただ課題をこなすだけで,アドバイスはほとんど生まれない。

授業の終わりでは生活班にもどる。

そこで,アドバイスが送られるが,それは運動をしていない場面で行われるため,実質的ではない。

そして,うまい子が苦手な子へアドバイスを送るという関係になる。

 

体育同志会は,異質な他者との関わりについてすごく強調してきた。

かつてはヒューマニズムの立場から,その後は,技術学習において異なる他者が必要だから関わらざるを得ないと考える。

さらに,今では「3ともモデル」が示されており,価値形成においても異質な他者が必要なのである。

今日は書かないが,この「関わって学習」するところが豊かであると思うのだ。

 

それは,昨日も書いたとおり,「(指導の)系統性研究とグループ学習の統一」の有り様を50年以上かけて探求してきたからだ。

 

学び方については今後の課題かもしれないが,次期の指導要領については,僕の中ではここが目玉のひとつになるような気がする。

これまでは,めあて別,課題別,習熟度別などであったが,ここはどのように解釈されるのだろうか。

 

さて,冒頭でコンピテンシーは,「業績の高い人の行動の特性」のことであり、これを評価することで人事考課をしている企業も多くあるとも述べた。

 

企業の評価の中味については,よくわからない。

しかし,似たようなことが学校で行われ(ようとし)ている。

 

それは,例えば,ノートルダム大学の加藤明氏が述べている「シンプトム」という方法だ。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/07070908/009.htm を参照。

 

「学習に取り組む意欲・態度… 評価の方法としては、望ましい方向に情意が高まった場合に現れるであろうシンプトム(兆候、兆し)を到達目標群として予め複数設定し、それに基づいて内面的な高まりを外面から評価する。」

 

これは,意欲や態度の評価の仕方について書かれているのだが,例えば,次のようなことを評価するそうだ。

 

  1. 単元と関係のあることについて,自ら調べようとする。 しない。
  2. 発表の上手な人のいいところを取り入れようとする。  しない.

左の「○○ようとする」がプラスのシンプトム。

右の「しない」がマイナスのシンプトムである。

これを点数化する。

 

普通に考えれば,意欲や態度を評価することは可能である。

しかし,到達目標として評価の対象に加えようとしている。

つまり,数値で表すことが可能であり,それにより評定をつけることが可能になる。

 

「はは~ん。」と思った人もいるだろう。

道徳の教科化の準備である(おそらく)。

 

道徳を教科にするには,道徳の先生(中学校),道徳の教科書,道徳の評価基準がそろっていないといけない。

このシンプトムによって,情意的な部分(もっといえば道徳心)は評価できるではないか。

 

実際にアメリカでは,体育においても「責任学習」や「フェアプレイ」の学習という形で行われているようだ。

それを用いて,日本で授業を行って成果を上げた事例研究も紹介されている。

 

僕は,人間関係形成力とかはとても大切だと思う。

しかし,道徳を含めて,そういうものは評価に馴染まないと思う。

 

先日,サッカーの監督をしているラモス氏がテレビに出ていた。

ラモス氏は,子どもたちにサッカーを教えるときに,大切にしていることとして次のこと述べていた。

 「お父さんやお母さんを大事にしろ。」

その理由は,

「自分が親になったときに大切にされないぞ。」

 これとても好き。

「情けは人のためならず」である。

 

人間関係形成力は大切だ。

でも,いつも支えてもらうばっかりの子どももいるかもしれない。

障害を持つ子もいる。

自分と違う考えの人もいる。

 

すべての子ども(あるいは大人)に役割が生まれればいい。

しかし,それが評価,評定とセットになっているというときに,危惧を覚えざるを得ない。

 

評価のための人間関係形成力の育成。

しかし,評価のために競争が生まれる。

自分の人間関係形成力を相対的に高めるために,他人を蹴落とすようなことにならないか。

 

それをもはや人間関係形成力とはいわない。

 

家庭教師のトライでは,ハイジとクララが隠れてお互いを出し抜くように勉強して,おたがいに泣いてしまい,関係が悪くなるというCMがある。

 あのCMのメッセージは不可解である。

競争するということは「そういうものだ」ということを,トライはいいたいのであろうか。

 

 つまり,「競争は人間関係を悪くする」!?

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