『たのスポ』7.8月合併号を読む-混成競技実践を読む
こんにちは。石田智巳です。
今日も『たのスポ』7.8月合併号を読んで考えたことを書きます。
今日取り上げるのは,牧野満実践「『順位・記録』について考える混成競技」です。
では,どうぞ。
一昨日(15日)の日記では,体育同志会ではなぜ体育理論を重視するのかについて述べた。
そして,その契機となったのが中村敏雄さんの提起であったことも述べた。
1970年代は基礎技術と系統性研究(技術指導を行う順番の研究)の成果が世に問われ,同志会でもその成果を会の実践で確かめる時期だったと言えよう。
ところが,昨日も書いていて端折ったが,76年頃の学力研究,その後のスポーツ権の研究と実践という課題が浮上すると,それを研究する分科会(国民スポーツ分科会)も立ち上がる。
こうして,80年代は,系統性研究の成果を確かめるという課題の一方で,スポーツ権についての研究と実践が始まろうとした。
しかし,これは重要な提起ではあったが,実践化しづらいということもあり,分科会そのものの消滅もあって,課題が前景化しなくなっていく。
この80年代の重苦しい空気を吹き飛ばしたのが,教科内容研究の提起である。
これは,中村敏雄さんを師と仰ぐ出原泰明さんを中心になされた。
バスケットボールという教材があったら,その技術や発展の歴史を教えることができる。
これは,通常,「バスケットボールを教える」という。
それに対して,バスケットボールで教えられることは,アメリカンなスポーツであったり,スポーツと体格,ルールの成り立ち,得点の様式,戦術学習などであったりする。
必ずしも実技に限ったわけではない。
何を設定してもいいのだが,それが本当にバスケットボールで教えることがふさわしいのかが問われることになる。
考えてみれば,スポーツを歴史的,社会的な文化と捉えれば,労働との関係,資本主義とスポーツの発展,競争,能力など,種目と関係なく教える内容は抽出できる。
「それを体育という教科の教科内容と呼ぼう。」
「その教科内容を,どの種目(教材)で教えるのかという問い方に変えよう。」
と言い出したのが,出原さんであった。
これについては,体育同志会編『体育実践に新しい風を』(大修館書店,1994)の出原さんの論文に詳しいので,一読をお勧めする。
手に入らない場合は連絡を。
さて,ここまで前置きが長くなったが,この教科内容を意識した実践が,牧野実践といえるだろう。
実践の概要は,走・跳・投の3種目を行い,班の平均記録を出す。それぞれの班の平均記録は種目毎に順位がついている。
「混成競技は,3種目のトータルを競うので,班の順位をつけるならばどうなるか?」という発問を牧野さんは子どもたちに投げる。
この発問が整理されているので,子どもたちは思ったことを出し合いやすい。
「順位を得点に換えて,合計点で決める」というのを,多くの子どもたちが出し合う。
話し合いの結果,これが採用される。
その後,実際に行われている10種競技の映像を見せて,記録を得点に換算することを理解させる。
そして,混成競技の採点表を作っていく。
ここまでの作業も面白いのだが,ここからがまた面白い。
今度は採点表をもとに,技術練習をしていく。
当然,どの班も自分たちで作成した採点表で,高得点をあげるにはどうすべきかという「作戦」を考えながら練習する。
また班での得点となるので,班内の技術学習における関わりが濃密になる。
そして,またパンチの効いた問いが牧野さんからなされる。
限られた時間で何をするのか。
得意種目の練習か?
不得意種目の練習か?
結果として,子どもたちは不得意種目の練習をすることで記録を伸ばしていく。
この実践は,競争やそれにかかわる記録や得点そのものを教科内容として,加えて自分たちで作成した採点表をもとに,技術的な内容の習熟をはかり,競技会まで行う。
さらに,3学期にも5種目で実践をする。
牧野さんらしいこだわりの実践である。
子どもたちの順位の決め方の変化は,実際の混成競技の採点の仕方の変化に従うものとなっている。
したがって,今の混成競技の採点の仕方は,かなり合理的なものだといえるのだろう。
それでも,競技のこれまでの最高記録を満点(100点)としたため,それを越えた子どもが100点しかとれなかったという不満が出てきた。
そして,それを作り替えようという声が上がったという。
しかし,「そこで『採点表』の歴史の推移を説明して実践を終えた」となっている。
その後の5種目での採点表には,どう反映されたのかが書かれていない。
ここは知りたいところである。
ところで,記録や採点の仕方の変化については,春に草深さんからも聞いたことであるが,特にスキーなどでは美しさとタイムの二つが採点基準となっている。
わかりやすいのが,スキーのジャンプにおける飛んだ距離と飛型点の二つの基準であろう。
あるいはモーグル競技におけるエアーや滑りの美しさとタイムという基準もそうだろう(たとえとしてはわかりやすいが,得点化の仕方はわかりにくい)。
単に,遠くへ飛ぶ,速く滑るというのでは,より機械に近づけた方の勝ちとなるが,そこに「美しさ」が入り込んでくる。
これによって,スポーツに人間らしさが加わってくる。
今のフィギュアスケートは女子などで特に思うが,ジャンプを競う競技になっている。
女子の体操もまた,コマネチ以降,精密機械であるかどうかを競っているような感じがする。
そのことについて文句を言ったり,異議を唱えるということではない。
美しさを競うとなると,学校体育ではどう考えることができるのだろう。
『たのスポ』2013年11月号は,特集が「美しい走り」であった。
しかし,それを採点基準にするという発想はなかった。
もっとも,『たのスポ』7.8月合併号を読む2-田植えラインの魅力 でも書いたように,田植えラインは,うまい走りをして,結果記録を伸ばすことになる。
もし,陸上競技で美しさやうまさを採点するとなるとどんな実践が考えられるだろうか。
これを読んだ方は,考えてみて実践して見てください。