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体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

「タクシーを呼んでください。」って英語でなんて言うのですか?

6月26日の投稿では,授業で学生に「子どものつまずきとその克服の方法」を発表させたことについて述べた。
その際に,英語の学生たちの用意した内容がうけたという話をした。
 
そのときの投稿で「語学は暗記だ」と言ったこととも絡めて,学生に紹介したジョークとその後について書き留めておきたい。
 
これから書くことは,もう20数年も前のことである。
その頃,有名人が紹介するジョークを集めた文庫本を持っていた。
これは愛読書であったが,何度か引っ越しをするうちにどこかへ行ってしまった。
残念。
 
その本の中に,武田鉄矢が紹介していた英語に関わった話が印象に残っていたので,この話を学生に紹介した。
話のあらすじは次の通り。
 
武田さんの友人が,外国のホテルにチェックインした。
そして,外出しようと思って,フロントマンにタクシーを呼んでほしいと英語でいおうとした。
 
Please call me taxi.
 
待っていてもタクシーは来ない。
その人は,発音が悪いと思って,何度か伝えたが,タクシーは来なかった。
 
さて,次の朝,その人がフロントに降りていくと,件のフロントマンがいた。
そしたら,彼はその人に向かってこう言った。
 
Good mornig.Mr.Taxi.
 
彼は,「私をタクシーと呼んでくれ」と言っていたのだ。
というような話(詳細は覚えておらず)。
 
ジョークはここまで。
しかし,本題はここから。
 
学生たちに向けて話したのだが,オチを言う前にこのジョークの意味を察した学生は少なかった。
まさに「とっさ」というべき状況だったので,怯んでしまったのだろうか。
しかし,そのことを問題にしているわけではない。
 
じゃあ「私にタクシーを呼んでください」とは英語でなんて言うのか?
 
実は,かつて私が青年海外協力隊の隊員として,ミクロネシア連邦のコスラエ州に行っていたときに,この話を仲間の日本人に紹介したことがあった。
そのときに,日本語教師をしていた榎本さんという人が,「おそらく, "Call me a taxi."でしょう。冠詞が必要になると思う」というようなことを述べた。
 
なるほど。
 
「それはそうだ」と思って,ジョークを含めたこの話を,島にいた 不良アメリカ人弁護士に話した。
 
そうしたら,そこには2人のアメリカンがいたのだが,2人とも「わからなくはないが,そんな言い方はしない」といった。
じゃあ,なんて言うんだ?というと,
 
Call a taxi for me.
 
残念ながら,彼らとの英語でのやりとりはまったく再現できない。
何しろ,1991~92年頃のことだからだ。
あれから私の英語コミュニケーション力は右肩下がりに落ちまくっている。
 
Callを呼ぶとするのか,電話で呼ぶとするのとで意味が違うということか?
細かいところはわからない。
恐らく彼らは私のために丁寧に説明してくれていたのであろうが,なにしろ私の英語力ではそれほど理解できなかったのだ。
 
やはり,あるシチュエーションにおいて,決まりごとのように使うフレーズを仕入れておくことが重要なのだろう。
というか,日本語を学ぶときには,意味より先にフレーズを覚えているはずだ。
 
村上春樹は,人前で話すことだけをいえば,「日本語でやるよりは(いまだにかなり不自由な)英語でやる方がむしろ気楽なのだ」と述べる。
その理由として次のように言う。
「それはたぶん,日本語で何かまとまったことを話そうとすると,自分が言葉の海に呑み込まれてしまったような感覚に襲われるからだろう。
そこには無限の選択肢があり,無限の可能性がある。中略。その豊穣な言葉の海の中で戸惑い,フラストレーションが高まる」。
 
「しかし外国語を用いて話を組み立てようとすれば,僕に与えられた言語的選択肢と可能性は必然的に限られたものになるから,そのぶんかえって気楽な気持ちで場に臨むことができる」(村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』,文藝春秋,2010,152-153頁)。
 
翻訳本をいくつも書く村上春樹と私(たち)とはまったくレベルや次元が違うのは当然である。それでも,多様な言い方ができるようになる前に,「このときはこういう」という定型文を仕入れておきたい。
 
英語で話す機会はほとんどないが。
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