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体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

子どものつまずきから授業をつくる 英語編

昨日書いた月曜日の授業(学校教育演習)の続き。

今回は英語編。
 
英語の学生たちは6人いて,そのうちの2人が子どものつまずきの例を挙げた。
授業風になっていて,教師役がある学生を指名して,ズボンの右前のポケットからペンを出して「これは?」と日本語で聞いた。
その学生は即座に「This is a pen.」と答えた(「荒井注か!」という突っ込みは残念ながら誰も入れなかった)。
 
だが,教師役は日本語でこれを何というか聞いたのだった。
そこで,生徒役は「一本」。
 
教師役は,また同じポケットからペンを出して聞いた。「二本」。
さらに,同じポケットからペンを出して聞いた。「三本」。「四本」,「五本」,「六本」。
 
途中で,「どんだけ~」という突っ込みがあったが,「六本」で終わった。
もう,おわかりだと思うが,読むと「本」は「ポン」「ホン」「ボン」と変化する。
これは,外国の方にはアンフレンドリーではあるが,これが事実。
 
「だからそこを取り出して覚えないといけない」ということではなく,「そういうものだ」と言ったのだ。
これには感心した。
やはり語学は暗記である。
 
国語は力のある文章を音読させることが大切だと言ったのは,斎藤孝もそうだし,内田樹もそうだ。
立命館小学校でもやっている。
 
内田樹太宰治の「子どもより親を大事と思いたい」ではじまる小説をあげて,読めばわかるが五七五だと指摘する。力があるわけだ。
そして,よい文章には,読み進めることのできるリズムがあるという。
また,読み進められない文章(というかリズムのない文章)の典型としては,トリセツをあげる(出典は覚えていません)。
 
英語も同じだと思っている。
よい文章かどうかはわからないが,英語独特のリズムは,繰り返し聞いて,話して,丸暗記しかない(と思う)。
中二のとき「In summer,my father takes us to the beach.」という文章があった。
これは,(私も夏に子どもたちに実践していることではあるが,)読むとリズムがある(たいした文章ではないが)。
そして,こんなものは口をついて出てくるまで読むしかない。
分析はその後。
 
だとすれば,どれだけリズムのいい文章を用意することができるのか。
そして,その文章のリズムがいいとわかることが大切なのだろうか。
そんな暴論を吐くと,英語の専門家に叱られそうであるが(昨日は公民の専門家に叱られる文章でした)。
 
でも,リズムが大切なのは,次の漢字を読めばわかる。
山茶花」「新しい」
前者はサザンカ,後者はアタラシイ。
 
当たり前だろ!,それが?と突っ込んだ人いるでしょ。
当たり前ではありません。
 
前者は,「サンザカ」か,「サンチャカ」。
後者は,漢字一字にすれば「アタラ」ではなく「アラタ」。
だから,「アラタシイ」と読むのが本来。
言葉もリズムよくいいやすいように変化しているのだ。
 
だから分析的に間違っているといってもしょうがない。
「こんにちは」は「きょうは」ではないし,それを分析して名詞の「コンニチ(今日)」と助詞の「ハ」をあわせたものと言ったら,それはナンセンス。
 
暗記教科とされがちな社会科は,暗記中心にすると悪い授業とされる。
暗記教科とはいわない国語や英語は,やはり暗記というかリズムになれることが必要。
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